煩悩について
10月4日(木)
管長様が暁天坐禅会の方との質疑応答の中で「煩悩について」
お答えになった事をまとめてみました。
煩悩のもとは何か?と問われて、強いて言うならば、我々の
生きているいのちそのものなんです。煩悩と仏心は別物だと
思いますか?相反するものだと思いますか?
水に喩えるならば、津波・洪水といった恐ろしい面に遭遇した
人はもう、水は恐怖でしかありません。しかし、水の本質は何であるか?
と尋ねていくと自分たちが毎日飲んでいるのも同じ水であります。
自分のいのちを支えているのも同じ水です。それどころか、私達の
この体も水でできています。
津波・洪水のように現象だけを見ると、きわめて恐怖の対象に
なることもあります。こころも同じであります。こころのはたらきに
煩悩という名前をつけたら、犯罪や暴力といった「悪いもの」に
なってしまいますが、煩悩もいのちそのもののはたらきなんであります。
水が津波・水害となる一方で同じものが恵みの雨、私達のいのちの
支えになるように、煩悩もいのちそののはたらきと同じなんであります。
そうとはいえ、やはり人に攻撃的となるような煩悩は制御して
いかなくてはなりません。
お釈迦様は「川を治めるようにこころをおさめなさい。」と仰せに
なっています。
煩悩をきちんと自分で制御できるようになると、だんだんと
煩悩の本質と仏心の本質が変わらないと気付いてきます。
そうなればあえて断除する必要はありません。
全部煩悩がなくなってしまうことは生きることを否定すること
と同じであります。ですから、人を攻撃するような、被害を
与えるような煩悩を抑えて、人に喜んでもらいたいというような
良い欲望に変えていくことが大切であります。
煩悩の本質は仏心と一つであります。
(後記) 今朝は、年2回の恒例となりました、暁天坐禅会の方々
(16名)との粥坐会でした。会場は如意庵さんで
和尚様が用意されたお粥をみなでありがたくいただいてから、
本堂へ移り、管長様をお招きしての質疑応答の時間と
なりました。
管長様と暁天坐禅会の方々との活発な質疑応答が行われました。
管長様は一つ一つの問いかけに、和やかな雰囲気の中で
真摯に丁寧にお答えになっておられました。
夕方から仏殿での達磨忌宿忌に出席して参りました。
明日10月5日は達磨大師のご命日です。午前5時半から仏殿で
法要が営まれます。