この意識が仏である!
9月19日(水)
管長様が本日の淡青会坐禅会で提唱されたことをまとめてみました。
これだけ科学・医学が発達していても瀕死の状態の病人に対して
一番効果的なことは、耳元で「~さん!~さん!」と名前を呼ぶこと
であり、呼びかけに応じたら意識があるとされ、これは助かるかも
しれないと判断されます。
この意識がある、ないの違いは何でありましょうか?これは今の科学を
もってしても説明しようがないもであります。しかし、呼んだら返事を
する、反応がある、それこそが仏のいのちであり、純粋な仏様の生命、
仏心であります。
意識は説明することも解明することもできませんが、そこにあること
だけははっきりしています。私達の意識は、声を聞きそれに反応をして
います。その呼びかけを聞き、反応をしている私達のこの意識こそ、
仏の心であり、いのちであり、仏様そのものなのです。
私達が生きているとうことは、仏様がそこにいらっしゃると
いうことなのであります。それが何よりも尊いものであるのである。
みなさん、仏壇や仏像に手を合わせますが、みんな心あればこそ
手を合わせるのです。そしてどんなに立派な仏像よりももっともっと
尊いものを私達はお互い備わって生まれて来ているのです。
こうして意識がはたらいて今日まで生きていること、それがどれだけ
素晴らしいことであるか心の底から感動して気づくことが大切です。
どんなに優れた地位・名誉・財産・・・がどれほどあっても
このこころをもって生まれてきた、これ以上に尊いものはない
のであります。
「この聞いているものはなにものか?それこそが仏である!」
こう見ることが正しいものの見方であり、臨済禅師が繰り返し説く
ところのものであります。
(後記)
昨日は午後から居士林で、中央公論社の方から取材を受けました。
中央公論増刊号で「ほんとうの仏教への誘い」(仮題)という特集を
組むそうで、土曜坐禅会などに関する質問を受けました。
「現在、日本では老若を問はず伝統仏教への回帰が起こっている」
「日本人が本来の価値観、生命観へ戻りつつあるのではないか」という
考えのもとに日本仏教の入門特集を企画しているとのことです。
10月か11月ころ発行される予定とのことですので、みなさん、
ご覧下さいますように。