インタビュー記事
9月14日(金)
管長様の故郷の「熊野新聞」(9月12日付け)に管長様への
インタビュー記事が載りました。全文を紹介します。
「災害でも自然を恨むことなく、精いっぱい生きよう」
新宮市出身・臨済宗円覚寺派管長 横田南嶺老師(46)
わが熊野では臨済宗において二人の名僧を持つ。お一人は
本宮町四村生まれ、1961年96歳没の妙心寺派管長・山本玄峰老師
もう一方は新宮市出身、現在46歳の円覚寺派管長・横田南嶺老師
である。まさに、郷土の誇りと言えよう。
9月4日、台風12号犠牲者慰霊供養に来新された横田老師。老師を
新宮駅でお迎えし、その高潔で穏やかなたたずまいに`おおいなる
ありがたさ`を心に抱く。そして、熊野川町田長での供養後に
インタビューをさせていただいた。
{老師の子ども時代、そして発心のことなどをお聞かせ願えますか?}
ー人は死ぬ、その様子が私の記憶の始まりです。満2歳の時祖父が亡くなり
火葬場で祖父の棺桶が焼かれ白い煙が昇っていきました。母は私に
「おじいさんは、あの白い煙になってお空に昇っていくの」と教えて
くれた。さらに、新盆になって、ちょうちんを載せた船で御霊送りを。
この時も「おじいさんは、あの船に乗ってあちらの世界に帰るの」。
いずれも、おじいさんはどこに帰っていったのか実に不思議で不安に
思いました。
この不安は、小学生の級友が白血病で突然亡くなり、さらに強い
ものになりました。そんな頃です、菩提寺である清閑院の座禅会に
参加したのは。そこで、由良・興国寺の目黒絶海老師にお目に掛かる
ことに。絶海老師がご本尊にご焼香されて礼拝される姿に、私は
子供心に身震いするような感銘を受けました。`ここにこそ、
生死の問題を解決する道がある`と確信いたしました。
そこで、由良の老師の元へ独参するようになりました。中学生の
頃です。興国寺では、はっきり印象に残っていることがあります。
老師が色紙に富士山の絵をちょこんと描かれ、その讃に
「すべってもころんでも登れ ふじの山」。そして、「禅の修行は
始めたら最後まで成し遂げなければいかんぞ」とお言葉を掛けて
くれた。今でも心に刻んでいるお言葉です。
{大学時代~僧堂時代のことなどを。}
ー高校時代にラジオで偶然、松原泰道先生の講話を聞いてお手紙を
出しました。そのご縁で先生から勧められ、大学時代には東京文京区
にある小池心叟老師に師事。剃髪して出家いたしました。現在は
ただその延長線上で修行をする身です。
トラノオ <龍隠庵>