大用国師毎歳忌
6月28日(木)
今日は、僧堂に於いて行われた大用(だいゆう)国師毎歳忌
に出席して参りました。
大用国師の頂相です。
大用国師は、江戸時代後期、その当時退廃していた円覚寺を
立て直し、僧堂(専門修行道場)を再建された「中興の祖」というべき
お方です。
大用国師が浄写された掛け軸です。
現在の円覚寺は、立派な伽藍がそびえ、管長様のような
方がご指導をくださり隆盛でありますが、長い歴史の中で
はやはり何度も「存亡の危機」を乗り越えてきています。
火事による全山焼失や明治時代の廃仏毀釈など「法難」と
呼ばれる危機が起こる度に、今北洪川老師のような方が出て
周りの和尚様方と一致協力して危機を克服してきました。
そんな「危機」の中でも、江戸時代後期の円覚寺は、当の
お坊さんが寺で博打などするほど、堕落してしまって、
「外」からではなく「内」からの危機状態のありました。
そんな中、師匠の月船禅師から円覚寺再建を命じられた
のが大用国師・誠拙周樗禅師でありました。誠拙禅師は、
命じられた通り、円覚寺に行きますが、そのあまりのひどさに
挫折し、師匠のもとに帰ってしまいます。
帰ってきた弟子に師匠である月船禅師は「お前を見損なった」
と言いました。そこには、「お前にはどんなひどい状況の円覚寺
でも再建できる力があるとわしが認めたから、それを命じたのに
おめおめと帰って来おって!自分で自分を見限るな!
」という思いがあったんだと思います。
それをきいた誠拙禅師は、発憤し円覚寺に戻り、博打打ちを
するお坊さんたちにお茶だしをすることから始めて、徐々に
周りを感化していき、見事に円覚寺の再建を成し遂げます。
ちなみに今でも燦然とそびえる山門は誠拙禅師の時に
再建したものであります。
こういう方のご苦労があって、今の円覚寺があると思うと
身の引き締まる思いがします。