自分を抜きにして
5月20日(日)月並攝心初日
管長様が僧堂攝心で提唱されたことをまとめてみました。
いろんな現実の問題に遭遇したとき、ああであろうか、
こうであろうかと考えること、策を弄することは、たいがい
自分の都合の良いものしか見えていないのでかえって
窮してしまう。
自分を一つ抜きにして、自分を一度消してみれば、
森羅万象はありありとはっきりしてくる、そのまま
自分に映ってきます。
自分を消してみるとは、自分中心のものの見方・
意識・分別(ふんべつ)を一度否定してみることであります。
これを禅の言葉では「自分を殺す」といいます。
自分を否定してみる、自分を抜きにしてものごとを見てみる。
そうするとものごとはありのままに現れてくる。あとはそのところに
従っていくのが賢明な生き方であります。
自分を無にすると心にかくも豊かなものが流れ込んでくるものか。
山の景色、緑、杜鵑の初鳴き・・・。そこから、無限に豊かなものが
あふれ出してくる。そして、究極の目指すところである慈悲の心も
現れてくるのであります。
自分の内と外とが一枚である、一枚であったと気がつく経験が
大切であります。その為には自分を消す修行であります。只今
やっていることに全身全霊集中し、成り切っていくことであります。
(後記)
本日5月20日より26日まで、円覚寺僧堂では月並大攝心です。
さて、昨日の土曜坐禅会は、初心者の部94名。2部65名。合計159名。
私の知る限り最も多い参加者数でした。参加された方、誠に有り難う
ございました。
おがたまです。和名は神道思想の「招霊」(おぎたま)から
転化したものだそうです。辺りが高貴な香りに充たされて
います。<黄梅院・玄関先>