永永と
4月20日(金)攝心初日
管長様が僧堂攝心で提唱されたことをまとめてみました。
私達は今こうして頭を剃って、坊さんのかっこをして、こんな
大きな寺に住んで、何不自由なく修行をさせていただいて
います。
大勢の方の信心を得るということは自分達一代でできること
ではありません。代々の祖師方が何百年かけて永永と修行を
されてきた、そのたまものであります。そのおかげで
こうして今私達が何不自由なく修行ができ暮らさせてもらっつて
いるのです。
今日、仏教に対して否定的な意見もありますが、仏の教えが
人々のよりどころとなっているのも事実であります。それも代々の
祖師方が厳しい修行をして、命をかけて仏の教えを伝えてきて
くださったそのたまものであり、我々は今、その祖師方の余徳の
おかげでこういう恵まれた暮らしをさせていただいているので
あります。
我々がこうして祖師方の語録を学ぶのは、祖師方が真剣に
修行に打ち込んだという事実、そして命がけで仏の教えを
つたえてくださったことを忘れないためであります。
たとえ祖師方の厳しい修行ぶりには及ばないとしても
それを胸に刻み、自分を鑑みることが大切であります。
雨安居(4~7月の攝心月間)開講にあたっての
管長様の偈頌です。
「こうしてたいへん良い季節を迎えることができた。
門を閉ざして(外に出ずに)坐禅に集中する。
祖師や仏様になる人材を打ち出すのが選仏場。
修行者達みなよ。
悟りの智慧という光は外から教わるものではなく
本来誰もが生まれながらに持っているもの。
禪の修行をして、煩悩・妄想・執着・余計なものを
取り除いて本来の智慧の光を発揮せよ。」
提唱の様子。