生涯修行
1月24日(火)制末攝心5日目
管長様が僧堂攝心で提唱されたことをまとめてみました。
修行というものは、(生涯をかけて)長い間やっていくもの
であります。強いていえばこれでいいということはありはしない
のであります。途中と言えば永遠に途中でどこまで行っても
切りがない。それでいて「途中にあって家舎を離れず」で
ありますから、永遠に途中でありながらその一歩一歩が
完成品であり、終着点であります。
修行には決してこれでいい、これで終わりというものは
ありはしないのであります。修行はどこまでも求めていく
続けていくものであります。
みなさん、和尚さんになればお葬式の時に「喝!」を唱えます。
これは全力で一生懸命やればけっこうなのですが、そう簡単には
いかないものであります。
本当にこの一喝で聞いている者の自我意識というものが残りなく
滅却しているかどうか?そんな力のある一喝が自分にはできるか
どうか?やはり生涯をかけて問い詰めていかねばなりません。
一喝のもとに自我意識・分別・妄想があとかたもなくなくなる。
そして、この大地・世界、この世の中のすべてを我が兄弟・
我が子・我が孫と見て、いくつしむような、そんな大慈悲の心に
自分がなっているかどうか?
この一喝のもとにここにいる人達を救いとっていくような
そんな力が自分に備わっているのか?
(そう自分に問いかけ)「まだ足りない!まだ足りない!」と
思いながら命ある限り修行を続けていくのが私達の道で
あります。