がんばれという言葉
12月1日(木)その2
管長様が先月の日曜説教(11/13)で提唱されたことをまとめてみました。
私達はよく「がんばれ」という言葉を使います。これはたんへんだろうけど、
しっかり一生懸命生きてくださいという意味で使います。3月の震災後、
この「がんばれ」という言葉をもう言わないでくださいと言う声が言われるように
なりました。
「がんばれ」という言葉について、妙心寺管長の河野太通老師はこういう
ことを仰せになっています。長い間、神戸の修行道場におられた老師は
阪神淡路大震災を経験して「がんばれという言葉は、もう十分である。」と
言われました。
震災時、老師の親しいお家の4人家族うち、中学3年の娘さんだけを残して
お父さん、お母さん、弟さんの3人が亡くなりました。家族3人を一瞬にして
失った娘さんは葬式をしなくてはなりません。老師のお寺の本堂に3つの
棺がならびました。老師は「これからはお父さん、お母さん、弟さんの分まで
がんばって生きていくんだ」と励まし続けました。娘さんも歯を食いしばって
涙一つこぼさずにがんばっていたそうです。
そうして、何日か過ぎお葬式が終わりいよいよ出棺の時に、まずお父さんの
棺、次にお母さんの棺、そして最後に弟さんの棺が出て行くときに、その娘さんは
弟さんの棺にしがみついて大きな声で泣き崩れたそうです。
老師はその時に「もうがんばれはいらない。この子はがんばったんだ。涙一つ
見せず耐えてがんばってきたんだ。これ以上何をがんばれというのか。これ以上
がんばれはもう聞きたくないんだ。」と思われたそうです。
それから16年、この度の大震災に対して、老師はそれでも「がんばろう」
といわざるを得ないと仰せになっています。それは生かされたこの自分の
命を大切に生きることが亡くなった人の対する供養であり、祈りであるから
であります。そういう意味でがんばろうと言わざるを得ないのであります。
ある和尚さんが「がんばれ、がんばってくださいというのはどうしても
他人事になってしまう。ですから、がんばれではなくがんばっていきましょう
のほうがいいのではないか」と言われています。「お互いがんばりましょう」と
相手と自分、同じ気持ちになっていっしょになって乗り越えていきましょうのほうが
よろしいのではないでしょうか。みんな同じ命であります。悲しみ苦しんでいない人は
一人もいません。だからこそ、「お互いがんばりましょう」と声を掛け合って
いきていきたいものであります。
(後記)
キーボードを打っているうちに涙がこぼれ落ちてしまいました。