一番恐ろしいのは人の心
11月29日(火)
管長様が先の僧堂攝心(11/25)で提唱されたことをまとめてみました。
一番恐ろしいのは、なんといっても人の心であります。どうやってこの心を
調(ととの)えるか、この自分の心を飼い慣らしていくのかが重要であります。
心の恐ろしいことは猛獣のごとくであります。大勢の動物を殺したり山を
削ったり、むしろ猛獣よりも人間の心のほうが恐ろしいのかもしれません。
どうやら、人間の心は時代とともに発達するものでないそうです。というのも
人間の脳が石器時代とあまり変わっていないという説があるようです。つまり
石器時代の脳みそのままでこの現代社会をいきているわけであります。
石器時代の心のままで、今を生きているわけだから、なるほど凶悪犯罪も
男女の問題もなくならないわけです。
お釈迦様はこの心を調えることは猛獣を飼い慣らすようだと言われています。
そういう気持ちで慎重に自分の心を調えなさいと言われました。
各々おとなしそうな顔をしていますが、自分の中に猛獣・狂象を飼っている
ようなものであります。荒牛を飼い慣らすようちょっとでも道をそれて他へ行こうと
したら鼻をグッとひっぱり引き留めることが大切であります。
坐禅の要領も同じで、心が呼吸に集中することから逸れて余計なことを
考えだしたら、牛の鼻面をひくようにまた、呼吸に意識を戻します。そうすると
また逸れる、また戻す、その繰り返しであります。
長年修行をしているとおとなしい牛(心)になるのかというとそれほど変わらない。
本質恐ろしいのはかわりませんが、ただその心をいかに手なずけていくのかの
手段が上手になってきます。よそへ行こうとしたのをグッと引き戻す力は強くなる
ことは確かであります。
修行をやればやるほど心がいかに恐ろしいものかがわってきます。逆にいえば
その恐ろしさを自分でよく知っていれば間違いは少ないのであります。大丈夫だと
たかをくくるのが一番危ない。
この生身、この心がある限り、いつ迷い、とりとめもないことをしてしまうかは
誰にもわかりません。ですから、命ある限り牛を飼い慣らすがごとくにこの心を
慎重に調えていかなくてはなりません。
(後記)
マスコミなどで連日様々なおぞましい事件が報道されいます。「自分には
関係のないこと、自分には全く理解できないこと」と思いがちですが、そういう
私達の心の中にも犯罪を犯してしまった人と同じ「おそろしいもの」が潜んで
いるかもしれないと、自分の心に慎重に対処していく心構えを持つことが
大事なのかもしれません。