願い
11月23日(水)摂心中日
管長様が11月20日の僧堂攝心で提唱されたことをまとめてみました
「何を願うか、どういうことを願って生きてきたのか」願いを持つものと
持たないものでは同じ事をしていても大きな違いが生じてしまいます。
生きる上で一番根本に「どんな願いを持つのか?」もう一度はっきり
確かめた方がいいのであります。
人間どういう願いを起こしているか・持っているかで顔・形・姿いろいろな
ところに現れてくるものであります。
我々が毎日当たり前のように唱えている般若心経は、三蔵法師が
中国に仏の教えを伝えたいという願いのたまものであります。その為に
文字通り命がけで、砂漠を越え、険しい山脈を乗り越えてインドに渡り
中国に持ち帰ったのであります。
願うことがなければ物事は決して実現しないのであります。
世の中を平和にしたい・人々が安らかでありますように。
様々な仏様がありますが、苦しんでいる人・悩んでいる人を救っていきたい
という願いがああいう姿・形で表されているのであります。
観音様は、世の中の音・声、世間の人の声をよくきいてあげる
苦しみを早く観じて・見て取ってその人を救ってあげたいという
願いがああいう姿・形になったものであります。
(後記)
本日は、初日の提唱を掲載させていただきました。
今日は、日中、管長様とお檀家さんの家に一周忌法要に行って参りました。
管長様は「月落不離天(月落ちて天を離れず)」と書かれた色紙を
お仏前にお供えになりました。そして、法要後次のようなお話をされました。
「お月様は、満月だ三日月だと姿形を変えています。
また、見えないときもあるけれど常に私達を照らしてくれています。
それと同じように亡くなった方の笑顔は、もう二度と見ることはできないけれど
亡くなった方は、姿形は見えねども、必ず私達を見守ってくれています。
残された私達がいつまでも悲しんでばかりいたら、亡くなった方も悲しむでしょう。
ですから、悲しみは尽きませんが、できるだけ明るく元気に生きることが
一番の供養なのではないでしょうか。」