仏心
11月9日(水)
前回に引き続き、朝比奈宗源老師の提唱から「仏心」についての
お言葉です。
「われわれは良いことをした時だけ仏心の光だと思うが
そうじゃない。本当は、仏心からいうと、全部良いんだ。」
「だからどんな失敗をしたって、われわれはこの(仏心という)根源から
はずれることがない。また、どんな良いことをしたってほかの人を他所へ
放り出して、自分だけそこに入るなんていうわけにはいきはしない。
<蝦踊れども斗をいでず>という言葉がある。蝦は海老です。蝦が桶の中で
いくら跳ねても、やがて落ちれば同じ桶の中へはいる。人間は、仏心の中で
生まれ仏心の中に住み仏心の中で息を引き取る。生まれる前も仏心、
生きている間も仏心、死後も仏心、絶対に仏心からは離れませんよと、
私がいうのもそこです。」
「きれいな富士山や、美しく咲いた花だけが仏心じゃない。犬の糞も蕗の薹
も仏心だ。慈善をほどこし人に拝まれるような人だけが仏心の所有者か、
そうじゃない、(悪いことばかりしている人や大きな失敗をしてしまった人も)やっぱり仏様だ。
根本は同じじゃ。この世で(どうであっても)この生をおえて還るべきところへ
還ればみんな同じだ。禪とはこういう図太い教えです。」
「人間生きている間は、とかくいわゆる煩悩といわれる意識分別が動く。
ああじゃないか、こうじゃないかなとこう思う。がしかし、ひとたび(死に臨んだら)
どうなるか、一切のはからいも迷いも捨てて、往かんならんです。否応もなく
捨てるのです。捨てるときがくる。法然上人は、人間が生きていればいろんな
煩悩がおこるが、それはお浄土へ往く妨げにはならんと言っておられます。」