至誠(しせい)息(や)むこと無し
11月7日(月)その2
向かって右から「至誠無息」{至誠息(や)むこと無し}と書かれています。
円覚寺212世・堯道慧訓老師が揮毫されました。<黄梅院>
至誠(まごころ)には休息が無く、その働きは永遠であり、至大の
ものであるという意味です。
「中庸」という儒教の聖典の言葉ですが、仏教では「至誠」を「仏心」と
呼んでいます。
堯道老師の法を継がれた朝比奈宗源老師は「仏心」を説かれました。
○「誰にも生き通しの大生命が具わっている。」
○「お釈迦様のお悟りの当体、即ち、今あなた方がそこで聞いている
心の根本は、仏心です。それには生き死にはない。仏心は永遠に
生き通しである。仏心には罪や汚れというものがない。だから仏心は
いつでも浄らかであり、静かであり、安らかである。お互いの心の大本は
そうだというのです。」
○「人間はこの素晴らしい仏心の中に生まれ、仏心の中に育ち、住み
仏心の中で息を引き取る。生まれる前も仏心、生きている間も仏心、
死後も仏心。仏心とは一秒時も離れないのです。
○戦争直後の戦死者や戦災で亡くなった人たちの遺族に向けて
「人間は因縁によって、どこでどういう死に方をするかもしれない、たとえ、
シベリアや満州で凍え死んでも、南の海に沈んで死んでも、仏心から見れば
仏心の真只中である。必ず仏心にかえって智慧と慈悲の塊りの尊い仏様に
なるんだ。地獄なんか断じて行かない。」