怠け者の瓉(さん)さん
10月24日(月)攝心5日目
管長様が僧堂攝心で提唱されたことをまとめてみました。
懶瓉(らんさん)和尚という方が中国・唐の時代にいました。本名は
明瓉(みょうさん)といいましたが、周りの人から「怠け者の瓉さん」と
あだ名されていました。懶とはものういとかなまけるという意味です。
唐の9代皇帝の徳宗が懶瓉和尚の名を聞いてぜひ教えを受けてみたいと
思い勅使を遣わしました。勅使が懶瓉和尚の住む石窟に到り告げました。
「詔をくだしてくださった、お礼のご挨拶をしなさい。」と。和尚はちょうど牛の
糞で焼き芋を焼いてむしゃむしゃと食べていました。寒いときで、鼻水があご
までたれていました。鼻ズルズルで焼き芋を食べている姿をみて勅使が笑って
言いました。「ちょっと、鼻ぐらいふいたらどうですか。」それに対して懶瓉云く
「私は俗人の為に鼻をふいている暇はないわい!」と振り向きもせずにそのまま
芋を食い続けたそうです。
勅使が帰ってそのことを皇帝に申し上げると、皇帝は怒るどころか
「それは見事な方であるなあ!」と褒め称えられたそうです。
この話一つで懶瓉和尚は、千年の後も絵に描かれたり、詩にたたえられたり
と後世にに知られています。何が尊いものなのか、何が価値があるのか。
いろいろな価値観を持つことが大切であります。
あいつは怠け者だ!というような一面的なものの見方していたのでは
大切なものを失ってしまいます。仏教のすばらしい所はいろんな立場
それぞれそれぞれの立場でみんな尊いものを持っていると見るところです。
それぞれそれぞれが一つ一つの花を咲かせているという華厳の教えであります。
今時の言葉で言えば「多様性」を受容することであります。そして、
「ああいう生き方もある。」、「あれはあれなりにがんばっている。」と
広いものの見方をすることで自分の中にある慈悲の心を育てることが
できるのであります。