訳ありキュウリ
10月16日(日)
管長様が土日坐禅会で提唱されたことをまとめてみました。
先日、ある人から「今日の環境問題をどうがんがえますか?」と
尋ねられました。環境問題というと自分と外の世界を分けて考えていますから
禪的には、環境と言った時点で間違いであります。
何のことでも引き起こしたものはなんであるか?
問題はなんであるか?というと自分の心であると思わざるを
得ないのであります。自己の問題と受け止めなければ、環境を
どうしようと騒いだところで何にもなりません。人の心がこういう
環境問題を作り出しているのだとものの見方を変える必要が
あります。
今日、我々の価値観は、少しでもキレイなもの、かたちがそろったもの、
手のかからないもの、早いもの、便利で楽なもの等、そういう方向ばかりを
追求した結果、現在のような問題が起こっているのではないでしょうか。
自然の世界は、きたなく、ぶざまで、不釣り合いであります。昔のトイレの
ようにくさいのが自然であります。
最近では、曲がっているキュウリを「訳ありキュウリ」と呼んでいるそうですが
私から言わせれば、まっすぐできれいで、つやつやで全く虫がつかないキュウリの
方が「訳あり」であります。ゆがんで、虫が食ったキュウリの方がよっぽど
自然のキュウリであります。
ゆがんだキュウリを「訳ありキュウリ」というそういう価値観を改めて
いかなければならないと思うのであります。
自分と環境が分かれているということはありはしない。
みんな一枚の自然なのです!
あいつが悪い!あいつがけしからん!というどんな争いでも
もとをただせば、全部、人我の争いであります。我をたてて争う
のであります。我のない所にどうして争いが起こりますか?
我のないものにどうして争いが起こりますか?
居士林右横の景福荘近くの生け垣にサザンカが咲き始めました。