揺るぎない確信2
10月9日(日)その2
法華経も含めて仏教の教えのねらいは、みんな尊い仏様の心を
いただいていること、そして本来持っているその心に自分で気づくこと
です。
竹田益州老師は、火事を起こしてしまった苦しみ、それを周りの人から
ののしられる苦しみ、そういうまさにどん底の中で、たとえどんな取り返しの
つかないことを犯してしまっても、たとえどんなに他人から言われようとも
私の心の本質は浄らかであって塵一つ着かない、何にも傷つくことはない
と揺るぎない確信をされたのでしょう。
褒めそやされて得た確信よりどん底から得た確信というものは
揺るぎない。そういう何事にも微動だにしない揺るぎないものを自分で
つかんで欲しいが為に默雷老師はあえて厳しい鍛え方をしたのでしょう。
晩年、益州老師が建仁寺の管長の時、僧堂の隣のお寺が全焼し
明くる朝、そのお寺の住職がはらはらと涙を流しながら益州老師の
所にきました。老師はその顔を見て、ご自身もかつてお寺を燃やして
しまった苦しみ・苦労を涙をもって語られたそうです。そして
「あんたもたいへんだ、どうか辛抱して辛抱して復興してください。」
と手を握られたそうです。この和尚さんは、これ以上の励ましは
なかったかと思います。
そういう老師のお姿を拝見して、苦労をすることは決して無駄に
なりはしない。無駄になるどころか、その苦労・苦しみが他の人には
できない、相手を救ってあげる大きな慈悲の力になるのだと間近にいて
学ばせていただきました。
どんなにののしられても、どんなにけなされても、どん底の中でも
「私達は誰一人例外なく何ものにも傷つくことのない宝の珠、心をもっているんだ」
と気づくことが法華経の教えであります。