命あればすべてある(その1)
9月11日(日)その1
管長様が日曜説教会で提唱されたことをまとめてみました。
毎日新聞のコラムに「命あればすべてある」という題の記事が
ありました。福島在住、NPO法人理事長、40代のアフリカ人女性の方の
記事です。その方は、母国ルワンダの内戦から逃れるために1994年に
福島に移り住みました。JR福島駅前のビルの近くで震災に遭遇し、娘2人と
車の中で過ごされたそうです。震災から3日目、初めて津波の映像を見たとき
「何も残されてはいないではないか」と衝撃を受け、なにもかもなくした
母国ルワンダの内戦での記憶がよみがえってきたそうです。
朝、「行ってきます!」と言って出て行った家族が帰って来ない。
夕方、「また、明日ね!」と別れた職場の友人と二度と会えなくなった。
今までの生活がある日を境にして消えてしまう。今回の津波もそっくりだ。
被災者の気持ちが痛いほどわかったそうです。
しばらくしてから、その方は避難所をまわってコーヒーを配りました。
その時に「自分はなぜ生き残ってしまったのか?」と自分を責める
年輩の男性に出会ったそうです。その方は、男性に話しかけました。
「私は(内戦で)全部なくしたけれど、命があったから今こうして
おじさんに出会えたのよ。」すると年輩の男性は元気な笑顔になってくれた
そうです。
人は生きてさえいればすべてあるのだ!
夢をえがいたり、出会いもある、誰かを元気づけられるし、誰かから
元気をもらうこともできる。生きているからこそできることはかぎりなく
ありますと。