地球のことは自分のこと
9月3日(土)
午前中、管長様のところへ行きましたら、坐禅に来ている人から
管長様に送られてきたという新聞記事を見せていただきました。
管長様は誠に正論だと共感されていましたので、記事の一部を
紹介したいと思います。<朝日新聞9月1日 >
元サッカー日本代表監督岡田武史さんと養老孟司さんの対談です。
養老「{環境}はどうしてできたかを考えると、{自分をたてた}から。
自分を区切ると、自分の外に環境がある。昔の人はそうは思っていなかった。
死ねば、土に返ると。今の学生に田んぼは将来の君だといっても通じない。
田に稲が育って米がとれて食べると体になる。だから、田は自分の一部。
大気も同じで、なければ即座に死んでしまうのも自分じゃないのか。大気は
自分ではないと、どうしていえるのか。」
岡田「人類と地球を分けているうちはだめ。人間と自然を分けているうちは。
人間は自分のことでないと必死になれない。」
養老「自分をたてるというのは脳みそがやっている一種の勝手な区分です。
私というのは意識がないとない。・・・
岡田「地図があっても、現在地がないとわからない。」
養老「だから、脳の空間定位の領野に私の定義、つまり現在地が
入っている。地図の矢印(↑)が自分です。そこに環境問題がある。
人間は↑をつけてこれが俺だとやって、その中は無意識にエコひいきする。
・・・」
岡田「それが自我ですね。宗教でいう悟りというのは、↑が取れたような
状態になると。」
養老「自分なんて案内板の↑なんだと考えたら楽でしょう。自分は案内板の
一部だと意識しておけば、あまり過大評価も過小評価もしないで済む。」
岡田「おもしろい。みんながてこずっている自我というものは、地図の中の
ほんの↑なわけですね。」・・・