花を忘れまい
8月29日(月)
先日、管長様が企業の講演会で提唱されたことを抜粋してみました。
<ある日のこと、たまたま東京のお寺へお盆のお手伝いに行き、住職が
大勢の信徒を前に言葉をかけていらっしゃいました。廊下を通りかかると
「なーに人間はな。お互いいろんなことがあっても、なんにもないところから
生まれて、なんにもないところへかえっていく。なにがあったって
そのひとときのこと」とお話しされていました。それこそが無常であり
無我なのです。それに気が付くことで暗く投げやりになるのではなく、
逆に今のひとときを精一杯生きなければならないと思い知らされます。
そして、お互いの弱さを知ればこそ、周りに対して自然な思いやりが
でてくるのでしょう。
坐禅をするとよく、腹が据わると言いますが、確かに度胸がつくかも
しれません。無常、無我、空である、いつもゼロのところを見据えています。
だからこそ、少々のことでは狼狽えなくなります。どう転ぼうとも、
もともと何もなかったのだと、そう肚を据えると何があっても不思議と
有り難いと受け止めることができるようになるものです。
震災で本堂が全壊したお寺の縁の下に、牡丹の花が涼しく咲いていました。
長年かけて営々と築きあげられた、一見堅く揺るぎなく見える本堂は、
一瞬のうちに倒壊してしまいました。大地に根をおろして咲く花がいかに
かえって強いものか。それこそ「見ずや君、あすや散りなむ花だにも、
力の限りひと時を咲く」ということを、その花の姿に学びました。
無常の中、これからどうなるか、それぞれに不安がおありだと思います。
明日どうなろうとも、自分は今のひとときを精一杯、力の限り明るく
生きようと思うことです。
目の前のことに手いっぱいのときでも「花を忘れまい」。一輪の花に
学ぶ心を大切にして参りたいと存じます。>