無事是貴人
7月10日(日)
管長様が日曜説教会で提唱されたことをまとめてみました。
「無事是貴人」(ぶじこれきにん)これは、臨済語録に
出てくる大切な言葉です。では、どういう状況を「無事」と
いうのでしょうか?それは、臨済禅師の言葉で言えば、
求める心がやんだとき。もう何も求めない心をいいます。
私たちは、常に何かを求めながらこうして暮らしています。
幸せ、財産、知識、仕事、愛情などみなそれぞれ何かを求めている
かと思います。臨済禅師が目指すところ、究極の目的は私たちが
仏様になることであります。私たちがこうして命ある間に
立派な人格を完成させると申し上げましょうかそういうことです。
道を求めるとは、仏様になる道を求めることに他なりません。
臨済禅師が「求めるな!」というのは、求めることをやめろと
いうわけでなく、もうあなたは(今のままで)もう求めなくても
十分足りているんだよということであります。
それでは、(こんな私たちでも)何が十分足りているんでしょうか?
外に向かって、自分の外に仏様がいると思って求め回る
その心を断ち切りなさい。それができたなら、あなた方一人一人
そのまま仏である!
では、仏様とはどういうものであるか?
臨済禅師曰く、今ここで、こうして話を聞いている
それこそが仏であると。
ここで今皆様方が暑い中、話を聞いてくださっている、
その聞いているものが仏様ですよ。と。
目で見る、耳で聞く、舌で味わう・・・、この働きは、
一秒たりともとまったことはない!これこそ仏であると
気づく。その人こそ「無事の人」と呼ぶのであります。
命あればこそ、目で見、耳で聞くことができる。
その命こそ仏様の命である。それ以上にすばらしいものはない!
「今日も暑いなあ~」