碧巌録51則その3
1月31日(月)
昨日、老師が土日坐禅会で提唱されたことをまとめてみました。
明治時代「ライオン宰相」と呼ばれた浜口雄幸首相が、東京駅で
凶弾に倒れたとき、担架ではこばれていく時に次の禅語を口ずさんだ
そうです。
「南北東西帰去来(なんぼくとうざい、かえりなんいざ)
夜深けて同じく看る千厳の雪 」
いろんな生き方もあれば、死に方もいろいろ。
どこでどういう死に方をしても「平等」なのだ。
雪景色をみて死んでいくのも、ピストルで撃たれて死んでいくのも
みんな帰るところは一つなんだ。
人間の生き死には一枚。
どこでどう転んでも同じところに帰って行く。
「どこから生まれきて、死んでどこの行くのか?」
ある老師は、おっしゃったそうです。
「人の死に方は様々である。別にこだわる必要なんてないでしょう。」
みな誰しも何にも知らずにこの世に命を受け、また何にも知らずに
あの世に旅立つ。それでいいのだと思います。」と。
わかりようのないところに落ち着く。
わかったつもりになるとかえって、限定してしまう。
何にもわからないところに落ち着く。
何にも知らずにこの世に生まれ、何にも知らずに
あの世に帰って行く。それでいい。それでいいんだ。
(後記)
以前にも紹介しましたが、黄梅院の山を紅に染める夕焼けです。
16時50分に撮影しました。5分もしないうちに陰ってしまいます。
紅いカーテンが段々さがってきた感じです。山全体が真っ赤に染まるまで
あと少しでしょう。楽しみです。