碧巌録51則その2
1月16日(日)
老師が土日坐禅会で提唱されたことをまとめてみました。
「猫の妙術」というお話があります。
大きな鼠が出た家の主が飼い猫や近所から強そうな猫を集めて
退治しようとする。しかし、その鼠は猫がくればとびかかり、くいつき
あまりに凄まじいものだから、猫どもはすべて尻込みしてしまい
主人は困ってしまった。六、七町先に並々ならぬ猫がいると聞いたので
早速借りてきて見れば、あまり利口そうではない。が、かの部屋にいれると
例の鼠は身をすくめてしまい動かない。古猫は何事もなげに、のろのろと
鼠のそばへ歩み寄ると難なく鼠をくわえて戻ってきたそうな。
その古猫に他の猫がいろいろと極意を尋ねていくが、自分よりも
さらに上の猫の話をする。その猫は終日眠っていて気勢もなく
木で作ったような猫であった。人々もその猫が鼠をとるのを見たことが
なかったが、その猫の行くところ近辺に鼠の姿をみることがなかったそうな。
古猫はその猫にその理由を4度尋ねたが4度とも答えなかった。
「真に知るものは言わない。言うものは知らず。」
我があるから、敵がある。我がなければ、敵もあるまい。
対するものがなければ争うこともない。ものと我とともに
忘れて静かに心安らかになれば自ずと一つになる。
古猫が縁側でぽけっとあくびして、それでいてちゃんと
平和にものごとが治まっていく。
あの人がいるだけで、なんとなしにその場があたたかくなる。
あの人がいるだけで、なんだかその場の雰囲気が穏やかになる。
それは我があるか、我がないか次第だ。
冬日向 古猫一つ 大あくび