無門関33則非心非仏
10月6日(水)
老師が提唱されたことをまとめてみました。
心こそ心迷わす心なれ
心をたよりにするな。
心に振り回されてはいけない。
心こそ恐ろしいものである。
そんな心をいかにして調御(調える)することができるか?
いかにしておさめることができるかが仏教の課題だった。
馬祖道一禅師は、そうした状況の中で、
「自分のこの心こそ仏である!」と言われた。
そうすると、人々は「心」という概念「仏」という概念にとらわれてしまって
本質を見失ってしまったから、今度は「心でもない仏でもない」とお説きになった。
それでは、「心」とは「仏」とはいったい何をさしているのか?
結論は、心とは天地一杯にみちあふれているもの。
坐禅をすると、これが自分これが他人、内と外の区別がだんだんぼやけてきて
やがて天地と一つになる。
私たちは、「心」とか「仏」とかの言葉でもってはとても限定することのできない
もっと大きなものを生きている。この生きているものを確かに感じ取って
些末なものにとらわれずに、大きな命の流れに身をゆだねまかせていくことが大切。