3月13日(土)
本日の提唱は、第13則徳山托鉢。
老大師が語られたことを、私なりにまとめてみました。
登場人物の一人雪峰は、長年典座(炊事係)をして、隠徳を積んだ方。
禅門において、典座は、修行の進んだ方が、務めるもの。
それは、そうでない人がやると、ものを粗末にしてしまうから。
ものを大事にする人は、命を大事にする人。
さて、次は、徳山和尚。昔は、たいそう厳しいお人で、
「道(い)い得るも、三十棒、道(い)い得ざるも、三十棒」と
修行者が、答えようが、答えまいが、棒でたたいたようなような方。
この公案は、そんな厳しかった徳山和尚の晩年の境界の話。
若い頃は、厳しい修行に自己を忘れるくらい打ち込んでやったあとは、
晩年は、禅も仏教もない平々凡々の境地におなりになった。
うまくとぼけるのも、お手のもの。
そんな、徳山和尚の高い心境を提唱されました。