法衣
どこへ出かけるにしても、必ず法衣でまいります。
講演会、法話、法要などなど、いずれにしても、
お寺や会場でも出迎えて下さるので、
到着してから着替えというわけにはまいりません。
きちっと正装して法衣で、
電車でも新幹線でも飛行機でも乗っています。
ところが、そんななかで、
先日の諏訪中央病院に行くときは、少し迷いました。
病院に法衣で入るには、勇気がいります。
病院の方からは、死を連想させる法衣は忌避されるものであります。
ですから、どなたかのお見舞いに病院に行くような時だけは、
法衣を着ずにまいります。
そこで、諏訪中央病院にも、
作務衣などの略装がいいのではないかと思いました。
そんなことを、いつも一緒に行ってくれる伴僧に、話してみると、
彼は、「老師、こういう時こそ法衣で行くべきでしょう。
病院側が、管長を正式に招いているのですから、
堂々と法衣で行くべきだと思います。」と言ってくれました。
滅多に自分の意見を口にするようなことのない者でしたが、
そのときはきっぱりとそう言ってくれたのでした。
ちょうどある雑誌に、ある宗教学者の方が、僧侶こそ終末期にある患者に寄り添うべきで、
今のように病院に僧侶が入りがたいのは問題だというような文を読んだところでした。
そこで、やはり意を決していつものように、法衣でまいりました。
時には若い者もいいことを言ってくれるものです。
その結果は、当然嫌われることもなく、
先だっての侍者日記に記しているように、
あたたかくお迎え下さって、意義深い講演会懇談会となりました。
この頃は、仏教会でも、臨床宗教師や臨床仏教師といって、
終末期にある方に宗教者として寄り添うような人材を
育成することへの取り組みがなされています。
花園大学でも前総長の河野太通老師の強い志願があって、
臨床仏教講座というのが設けられています。
しかしながら、実際に病院など受け入れ側がまだ十分でないというのが現状であります。
そんな話もすると、諏訪中央病院の院長先生が大いに関心を示してくださりました。
意を決して諏訪中病院に法衣で講演に臨んだことが、
病院と仏教者との新たな取り組みを生みだす
嚆矢になればいいなと願っています。
横田南嶺