今日の言葉
ないことのおかげ
お寺の法話でありますと
必ず皆で手を合わせて感謝をしてから
始めています。
今日ここでめぐり合えたご縁の不思議に
感謝します。
まずは、両親のおかげ。
父と母の出会いによって
命をいただいたおかげです。
それから、今日までお世話になった
多くの方々のおかげであります。
そして、本日の出会いにご縁を
作ってくださった方々のおかげです。
そのように、いただいたおかげを
思うことは、容易であります。
しかしながら、ないことのおかげというのも
ございます。
特に、先だっての十四日に
岐阜の揖斐川の大興寺様に
まいりましたときには、
そう思いました。
なにが無いのか、
台風であります。自然災害であります。
十四日の法話でしたがらこそ
なにも問題なくたどり着くことができました。
もし、先だっての台風のあとの
九日が法話の日だったとしたら
とても、鎌倉から電車に乗ることも
できませんでした。
その日に、台風がないことのおかげなのです。
電車が大幅に遅れるような事故のないことの
おかげなのです。
あることのおかげは見やすいのですが、
無いことのおかげは気づきにくいのです。
そして、この無いことは無限にありましょう。
無事とは、まさに何事も無いことなのです。
何事も無いことの尊さに気がついたら
それこそ貴人なのであります。
横田南嶺