怨親平等(おんしんびょうどう)の心
本日は、台風一過の
真夏のような暑さの中、
致知出版社の後継者育成塾で講演。
次の世代の会社の後継者になる
お若い人たちの研修会で、
これで五年目になります。
最近は、円覚寺にお越しいただいて
私が講演し、ほんの短い時間ですが
坐禅を体験してもらっています。
今回のテーマは、
日本初の国難元寇に立ち向かった北条時宗公と
円覚寺を開創して両軍の御霊を弔った無学祖元禅師。
北条時宗公が
十八歳で執権に就任し
二四歳で文永の役、
三一歳で弘安の役に立ち向かい
三四歳で亡くなるという生涯を話し、
後に「胆、甕(かめ)の如し」と称せられるようになった
その胆力を練るということについてと、
その参禅の師である、無学祖元禅師の
慈悲の心、怨親平等の精神について話しました。
怨親平等は、敵も味方も平等に供養する思想です。
円覚寺は、元寇のあと
北条時宗公が、元寇で亡くなった方々を
弔うために建立されました。
時宗公が千体地蔵を奉納し、
無学祖元禅師が、怨親平等の心で
日本の兵士も元の兵士も
ともに平等に供養されたのでした。
かつて太平洋戦争のあと、
サンフランシスコ講和条約の折りに
セイロンの代表であったジャヤワルダナ氏は
仏陀のことば、
「憎悪は憎悪によって消え去るものではなく、
ただ愛によってのみ消え去るものである」
という一節を引用して日本への賠償請求を放棄された話も
入れようと思っていたところ、
知人から、本日のヤフーニュースで
ジャヤワルダナ氏のことが取り上げられていると
教えていただいて
そのことも紹介しました。
お若い方々ですから、きっと後で検索してくれると
思いました。
ジャヤワルダナ氏は、サンフランシスコに出向く前に
日本を訪れて、鎌倉で鈴木大拙先生に出会い
深い感銘を受けられました。
そのこともあって、同じ仏教を信奉する日本のことを
大切に思われたのでした。
しかし、それから二十八年の後
再び日本を訪れました。
大阪万博を控えて、経済的にも
発展しましたが、大事な精神を失っているのではないかと
感じたそうです。
そして当時の仏教界の代表的な方と会談されたのですが、
人々を救ってゆこうという宗教心も乏しく
人間としてゆるみきった姿に愕然とされたそうです。
致知出版社のお若い方からも
怨親平等の話に感動したとの感想をいただきました。
怨親平等は、今日の時代にこそ
見直されるべき思想であると思っています。
写真は
円覚寺仏殿に祀られている敵味方供養のお位牌。
横田南嶺