ひとすじ
青山俊董老師の無量寺
禅のつどいに招かれてまいりました。
朝の野点席で、
青山老師が、お使いになっている
茶杓のはなしをしてくれました。
その茶杓というのは、
お釈迦様にご縁のある竹林精舎の
竹で作られたものだというのでした。
それに青山老師は「ひとすじ」と銘を付けられたと
仰せになりました。
ご覧なさいと言って、
私に茶杓を渡されました。
受け取ってその茶杓を拝見させてもらうと
珍しく、細い茶杓の中央の、縦のすじが通っていました。
その景色から、「ひとすじ」と銘を付けられたのでした。
青山老師は、一宮に生まれになって
五歳の時に、塩尻の無量寺に入門されています。
十五歳で得度されて、愛知専門尼僧堂で修行、
駒沢大学で学び、四十三歳で尼僧堂の堂長に就任されています。
沢木興道老師、内山興正老師、そして余語翠巌老師など
曹洞宗の名だたる名匠に師事されてきて
実に文字通り「ひとすじ」に禅の道を歩まれてきた老師であります。
私などは、青山老師に及ぶべくも
比ぶべきものもありませんが、
どうにか、こうにか、十歳で坐禅の教えにめぐりあって
今日まで参りました。
無量寺での講演は、九十分の講座を三回つとめましたが
第一回は、自己紹介を兼ねて
今日に到るまでにめぐりあった老師方の話しをしました。
小学生時代にめぐりあった目黒絶海老師、
中学時代にめぐりあった松原泰道師
高校時代にめぐりあった山田無文老師、
大学時代にめぐりあった小池心叟老師、
老師方との出会いのおかげで
今日ここにお招きいただいていますと話しをしました。
青山老師も私の拙い講座をお聞き下さって、
最終日には、無量寺での講演もこれが
最後だと思って、控え室で気を引き締めていますと
突然、青山老師が控え室にわざわざお運びになり
どうしてもお願いがあるのだと仰せになります。
ご老師の願いであれば、なんなりと承らなければと
思っていると、
その願いというのは、
「来年も是非二泊三日で講演してもらいたい」との
お言葉でした。
私如き、若輩者が
青山老師のお寺にお招きいただいただけでも
無量の光栄なのですが、
さらに続いて来年もというお言葉には
驚きましたが、有り難く受けることにしました。
青山老師のようなお方には及びもしませんが
愚鈍なるささやかなる未熟者の歩みを
老師がお認めくださったのかなと
勝手に受け止めています。
坂村真民先生に
「一すじに」という詩がございます。
一すじに
一すじに
生きたる人の尊さ
一すじに
歩みたる人の美しさ
われもまた
一すじに生きん
一すじに歩まん
横田南嶺