釈宗演老師の慈愛
東慶寺で、 新たに釈宗演老師の資料が
みつかったので
見て欲しいとの依頼を受けて、
拝見してきました。
私は、専ら宗演老師の残された書簡を
拝見していました。
主に、宗演老師のお弟子である
佐藤禅忠和尚に宛てた手紙です。
宗演老師の、崩し字はきわめて読みにくいのですが、
遠諱の関係でたくさんの宗演老師の書を
読んできたおかげで
かなり読解することができました。
すると、実に慈愛の細やかな老師の
お姿が浮かび上がってきました。
まだ京都妙心寺の僧堂で
修行中の愛弟子、禅忠師に宛てて、
たとえば
禅忠師が典座(てんぞ)という修行僧の食事を仕度する係に
ついた折には、
典座の仕事の大切なること、
陰徳を積むのも、陰徳をそこなうのもこの典座の職だと言って
懇々と食事を作るときの心構えを説かれています。
典座が終わって、今度は禅忠師が
直日(じきじつ)という
坐禅堂の責任者に当たる役につくと、
修行僧が、勤め励むようになるのも
怠けてしまうのも、この直日の導き方如何に
掛かっているのだと、
これまた懇切に直日の心構えを手紙で説かれています。
また、興味深かったのは、
禅忠師が妙心寺の僧堂に入門して間もない頃
ようやく禅堂に参堂できたことを喜び、
禅忠師が、先輩達から新到として
名を呼び捨てにされることをいやがったらしく、
それに対して宗演老師は
将来三界の大導師になるような者が
ほんの一時期人に呼びすてにされたくらいで
心を乱すような狭量なことで
どうするのかと、これまた堪え忍んで修行に
励むように説かれています。
また、修行中の禅忠師に宛てて
宗演老師が、この頃は修行道場も
風紀が乱れつつあるという噂を耳にしているが
けっして自分にとって損になるような
悪い友には交わらぬように
関わりをもたぬようにし、
自分をよく導いてくれる良友にのみ
積極的に関わってゆくように
懇々と説かれています。
多少良からぬ修行僧がいても、
世の中には善人も悪人も様々な人がいるものだという
広い目をもってながめよとも説かれているのです。
慈愛とは母が吾が子を慈しむ如くだといいますが、
それは、まさに宗演老師のことなのでした。
宗演老師の愛弟子を思う慈愛の細やかなることに
心打たれました。
円覚寺の僧堂は、背後を山に
両側を岸壁に囲まれて
この時期は蒸し風呂のような状態ですが
東慶寺の書院で、調査をしていると
さわやかな風が吹き渡り、
なんともいえぬすがすがしさを感じました。
そして宗演老師のお慈悲の心に触れて
こちらも一層心豊かな思いをさせていただきました。
更に、人を導くということは
本当に大変な努力がいるのだと
教えられた思いでした。
横田南嶺