感謝 感謝
今日は、夏期講座4日目最終日でした。
第一講目は、横田南嶺老師による「無門関提唱」、
第二講は、駒澤大学教授 田中徳定先生「中世文学と禅」
第三講は、大峯千日回峰行大満行阿闍梨 塩沼亮潤師による「人生は毎日が小さな修行」でした。
以下は、横田南嶺老師による今日の提唱です。
本日の話は、百丈禅師のもとで修行していた二人の修行僧がいて、
禅問答をして勝った者が大寺に入ったというものです。
片方は、修行僧の中でも筆頭の者だったのですが、
禅問答に破れて山中に入って暮らしました。
片方は、それまで台所で皆の食事を仕度する係だったのですが、
禅問答の結果大寺の大和尚になりました。
しかし、これは決して台所の係が大寺の大和尚に出世したという成功談ではありません。
また、禅問答で勝った者が大寺に入り、負けた者が山で暮らすという勝ち負けの世界でもありません。
これがもしも、台所の係が、こんなことをしているよりも大きな寺に入りたいなどと思っていたら何もなりませんし、
台所から解放されて大寺に入れた、やれやれと思っていても何もなりません。
どの場で、どの役目をしていようと、そこにあるのは感謝だけであります。
かまどでご飯を炊く、皆の食事を作るというのは、最高の暮らしです。
ああ有り難いと思うばかりです。
大きな寺に入っても、それはそれなりに苦労はあるでしょうし、
ひょっとしたら昔台所でご飯炊いていた頃の方が良かったなどと思うようでは何もなりません。
今のこの暮らしを感謝して、喜んでいるかどうか、
結局修行というのはここにあると思うのであります。
過去と比べることなく、よそと比べることなく、
時は今、ところ足もと、ただいま取り組むそのことに
打ち込む命こそすべてなのです。
真民先生の詩に
感謝
感謝
すべてに感謝
守られて生きる
幸せを思い
進んで
良いことをしよう
皆が見てくださる
瞳
というのがございます。
今回の夏期講座もこうして感謝感謝で終わります。