「維摩の病」
維摩(ゆいま)居士のことを、禅の語録では「癡愛老」と呼ばれています。
これは、維摩居士が病の床に伏していて、文殊菩薩がお見舞いをした時に、
病気の原因は何かを問われて答えた言葉に基づいています。
維摩は、病の原因を「癡より愛有り、すなわち我が病生ず」と述べています。
癡とは、愚かさです。正しい道理が分からない愚かな心の状態であるために、
外の世界のものに愛着を起こして、それが病となってしまうのです。
愛着は、苦しみや病の原因であります。
そのように病の原因を知っていながら、維摩は病を治そうとはせずに、
病んでいるのです。それはなぜか、「一切衆生の病むをもって、この故に我病む」
と維摩は述べています。
世間の人々が、愚かさの故に愛着を起こし、病となって迷いの世界で苦しんでいるのを見ながら、
自分一人だけ悟って知らぬ顔はできないというのです。
維摩の病は、世間の人達が苦しんでいるのを見て、共に苦しみ、痛みを共にしようという病でありました。
すなわち大慈悲の心であったのです。
私達禅の修行をする者も、この維摩の病を忘れてはなりません。
我一人の解脱を求める為の修行ではないのです。
(平成31年1月 横田南嶺老師 制末大攝心提唱より)