青年僧に語る
その日の午後には、全国曹洞宗青年会の皆さんがお越しくださり、私が講義をさせていただきました。
あいにくの雨模様でしたが、足元の悪い中を大勢の若い和尚様方が円覚寺にお集まりくださいました。
全国曹洞宗青年会では、各地でさまざまな研修を重ねておられるそうです。
今回は企画を担当された和尚様が、私の書物を読んで関心を持ってくださり、円覚寺での研修が実現したのでした。
いただいたテーマは、「青年僧侶は今後、仏教を通じてどのように社会と関わっていくか」というものでした。
このテーマからも、若い和尚様方が、これからの時代に仏教者としてどう生きていけばよいのか、深い問題意識を持っておられることが分かります。
仏教を通じて社会とどのように関わっていくかということは、私たちにとっても大きな課題であります。
しかし、私はあえて初めに申し上げました。
「私たちは社会とどのように関わっていくか」と考えると、すでにその時点で、社会と自分とを切り離しているように感じるのです。
社会というものが外にあって、その外側に自分がいて、社会を眺めながら、どう関わっていこうかと考えているように思われます。
しかし、考えてみれば、私自身もまた社会の中に生きている存在であります。
この私が生きて活動していることも、社会の一つの現れなのです。
もっと言えば、私がどう生きるかということが、そのまま社会のあり方につながっているのであります。
そう考えると、社会とどう関わるかという問いは、結局、この私自身がどう生きていくかという問いにほかなりません。
そこで、私は初めに結論を申し上げました。
「真摯に道を求める僧であること」
これに尽きると思うのであります。
そして「原点回帰」ということをお話ししました。
今、社会は大きく変化しています。
人口減少が進み、地方では過疎化が深刻になっています。
お寺を支えてくださるお檀家さんも減少していきます。
寺離れ、宗教離れという言葉も耳にします。
これからお寺はどうなっていくのだろうかという不安もあることでしょう。
その一方で、人工知能、いわゆるAIの発達も目覚ましいものがあります。
これから社会が大きく変わっていくことは間違いないでしょう。
しかし、私はIT業界の最先端で活躍されている方々とお話ししていて、興味深いことを感じています。
そういう方々ほど、日頃AIなどの先端技術に接しているためか、休日には山の中で静かに過ごしたいと思われることがあるようです。
わざわざ田舎に別荘を持ち、そこでただ草むしりをしていたいという経営者の方もいらっしゃると聞きました。
どれほど技術が進歩しても、人間には自然の中で静かに過ごしたいという願いがあるのでしょう。
これも一つの原点回帰ではないかと思います。
では、私たち僧侶にとっての原点とは何でしょうか。
それが、先ほど申し上げた「真摯に道を求める僧であること」なのです。
そこで、関大徹老師の『食えなんだら食うな』という書物を紹介しました。
関大徹老師は、曹洞宗のお坊さんであります。
これは、昭和五十三年に刊行された本で、私も中学生の頃に愛読したものであります。
それが二〇一九年に復刊されたというのも、原点回帰を思わせる出来事です。
この本の中で関老師は、
「自分は僧侶として好きなことをやっているのだから、一握りの米も頂けなくなったら、誰を恨むでもない。そのときは、心静かに飢え死にすればいい。
高祖いらい、みんなその覚悟でこられたからこそ、こんにちの禅門があり、禅僧といわれる人は、その祖風をしたって仏門に入ったはずである。
禅は断じて、魔法ではないのである。人間の理にかなったことを、理にかなったとおりにやり、自然の理と一体になり、仏の悟りと一体になった自分を発見することである。」と説かれています。
このようなことを聴かれて、今さら何をと思われるかもしれません。
しかし、時代がどのように変わっても、僧侶としての原点に立ち返り、誠実に、真摯に道を求めて生きていくことが、何より大切ではないかと思うのであります。
そんなことからお話を始めました。
その後、私が今取り組んでいる『天台小止観』の二十五方便を、現代の生活に合わせて読み直す試みについてお話ししました。
そして休憩を挟んで、イス坐禅の実習を行いました。
若い和尚様方は、それぞれのお寺でお檀家さんたちと接しておられます。
高齢になった方々に、今から結跏趺坐をして坐禅をしてくださいと言っても、なかなか難しいものがあります。
しかし、イスに坐ってできる坐禅であれば、もっと多くの方々に禅を伝えることができるのではないかと、参加された和尚様からも、イス坐禅に大いに関心を持ったという感想をいただきました。
これは我が意を得たりと思いました。
先日も伊勢にある曹洞宗のお寺でイス坐禅の講習を行い、九十歳を超えた方にも大変喜んでいただいたことをお伝えしました。
何歳になっても、イスに坐ることができれば取り組めるのがイス坐禅のよいところです。
一時間の講義と三十分のイス坐禅という予定でしたが、実習のあとには質疑応答も続き、予定の時間を大幅に超えてしまいました。
若い和尚様方の熱意に触れながら、私自身も多くを学ばせていただいたのでした。
横田南嶺