禅宗の暮らしの成り立ち
早くも十一月になりました。
今日は、釈宗演老師のご命日であります。
円覚寺の修行道場では、早朝にご命日の法要をお勤めします。
お昼には東慶寺様で、法要を行います。
今年は東慶寺様の新しい三門もできあがったので、その落慶法要も行います。
先日は小川隆先生にお越しいただいて「禅宗略論」の講義をしていただきました。
修行僧たちのために、ご講義くださり、有り難い限りであります。
歴史上における中国禅宗の実際の特徴を小川先生は次の三つに要約されています。
第一は「伝灯」の系譜です。
禅宗というのは、教祖も聖典もないという独特な教えなのですが、達磨大師から二祖慧可大師、そして六祖慧能禅師という伝法の系譜を共通に信奉しているのです。
これは大きな特徴であります。
それから第二には「清規(しんぎ)」であります。
インド以来の戒律のほかに、「清規」という独自の規範をもち、それにもとづく独特の集団的修行生活を営むことであります。
そこではそれまでのインドの仏教では禁止されていた生産労働や肉体労働も行うようになりました。
しかもそのはたらくことに積極的な意味を持たせてゆきました。
小川先生は「仏道の生活化であり、生活の仏道化」だと表現されています。
澤木興道老師が「一切の生活がみなことごとくこの道である」と仰っています。
禅はまさに労働の宗教であって、百丈懷海禅師が積極的に労働されたことが、「一日作さざれば一日食らわず」という言葉として伝わっているのです。
畑を耕すと、土の中の虫などを殺してしまうことになり、殺生をしてしまうのですが、百丈禅師は、一切が空であることに徹していれば、罪はないのだと説かれているのです。
それから第三には、「問答」と「語録」です。
禅の教えでは、師匠が弟子に正解を教えるのでなく、問答を通して修行者自身に悟らせるという手法を取るのが特徴です。
その結果、その問答ややりとりの言葉を記録した膨大な語録群を残しています。
今回は、第二の「清規」についてさらに詳しく学びました。
律宗のお坊さん賛寧という方が書いた『大宋僧史略』卷上にある記述を学びました。
原文は漢文なのですが、およそ次のような意味のことを学びました。
「達磨大師の禅の教えが広まるようになると、禅の修行者たちは、互いに機鋒を交わし、問答を通して応じ合うようになった。
しかし、そうした禅の教えを受けた人々も、ただそれぞれの寺院の別院などに住んで修行しているだけで、生活の規則については、ほかの僧侶たちと特に異なるものはなかった。
道信禅師は東林寺に住み、慧能禅師は広果寺に住み、談禅師は白馬寺に住んでいたが、いずれも一般の僧侶と同じ戒律や作法に従って生活していた。」という内容のことが書かれています。
これまでも禅宗の書物で、禅のはじめの頃には、禅宗独自の寺院はなく、ほかの寺院の中で暮らしていたのだと学んだことがあります。
しかし今回、そのことが記されている原典を、初めて学ぶことができました。
達磨大師以来、禅の教えそのものは伝えられていましたが、修行僧たちの生活は、一般の仏教寺院の戒律に従っていたというのです。
ただこの「談禅師は白馬寺」というのは、誰のことかは不明だそうです。
同じ律儀によって暮らしていたとあるのですが、禅宗の人には特徴があったようです。
「ただ、参禅修学する者の中には、頭陀行を実践し、捨てられた布を拾い集めて作った糞掃衣などを身につけるなど、ほかの僧侶とは異なる修行生活を送る者もいた」とも書かれているのです。
ボロ布を綴り合わせて糞掃衣を着ていたというのは禅の修行僧の特徴だったようです。
さらに「その後、百丈山に住した懐海禅師が現れた。
懐海禅師は、独自の考えによって新たに修行生活の制度を整え、一般の寺院とは異なる僧堂を設けた。
その堂には、長く連なった坐床を設置し、修行僧たちが坐禅に励むようにした。」
と書かれているのです。
ここにはっきりと百丈懐海禅師によって、禅宗独自の共同生活が成立したと説明されています。
坐禅を終えて休息するときには、「帶刀斜臥」といって、刀を左側にさしていると横になるには右を下にしますので、右脇を下にして横になるようにと書かれています。
そして「朝には師のもとに参じ、夕方には教えを請うという礼法を設け、石磬や木魚を鳴らして、修行生活の時間や行動の区切りを知らせるようにした。
人々が宗師として仰ぐべき者を「長老」と呼び、その身の回りに仕えて随従する者を「侍者」と呼んだ。
寺院の諸事務を担当する者を「寮司」と呼び、修行僧たちが共同で作業することを「普請」と呼んだ。」
と書かれています。
新たに僧堂を設け、坐禅の場所を整え、今も行っているように鳴らし物によって規律ある生活をして、長老・侍者・寮司などの役職を定め、普請という共同作業を行うようになったことが書かれているのです。
それから更に七堂伽藍について教わりました。
七堂伽藍という言葉は、日本で使われるようになったそうです。
七堂伽藍は『広辞苑』にも「寺院の主要な七つの建物。七堂は必ずしも確定しておらず、また「悉堂」(完備した堂宇)の意ともいう。南都六宗では金堂・塔・講堂・鐘楼・経蔵・食堂(または中門)・僧房を、禅宗では仏殿・法堂・三門・庫院・僧堂・浴室・東司を指す。」と解説されています。
『宋高僧傳』卷十の百丈懷海傳にある記述を教わりました。
そこには「仏殿を建立せず、ただ法堂を設けることとした」と書かれています。
これは、仏法の真実は言葉による表現を超越していることを示すためだというのです。
これも禅宗の特徴としてよく言われることです。
その原典を教わることができました。
こうして、禅僧たちがほかの寺院の中で修行していた時代から、百丈禅師によって新たに独自に修行する共同体が形成され、生活そのものを修行とするあり方が、より具体的に発展していったことが分かりました。
今の修行の暮らしがどのようにして成立してきたのかを学ぶことができたのでした。
横田南嶺