雪安居開講 – 三界無安 –
十月の円覚寺は諸行事が多く、開山忌そして舎利講式と慌ただしく過ごしているうちに、早くも開講となりました。
新しくできた慈雲堂での開講であります。
『臨済録』の中の、
「大徳、三界は安きこと無し、猶お火宅の如し。
此は是れ汝が久しく停住する処にあらず。
無常の殺鬼一刹那の間に貴賎老少を揀(えら)ばず。
汝、祖仏と別ならざらんと要(ほっ)せば、但だ外に求むること莫れ。
汝が一念心上の清浄光(しょうじょうこう)は、
是れ汝が屋裏の法身仏(ほっしんぶつ)なり。」
というところから読み始めました。
岩波文庫の『臨済録』にある、入矢義高先生の現代語訳では、
「諸君、三界(凡夫の迷いの世界)は安きことなく、火事になった家のようなところだ。ここは君たちが久しく留まるところではない。死という殺人鬼は、一刻の絶え間もなく貴賤老幼を選ばず、その生命を奪いつつあるのだ。君たちが祖仏と同じでありたいならば、決して外に向けて求めてはならぬ。君たちの(本来の)心に具わった清浄の光が、君たち自身の法身仏なのだ。」と書かれています。
三界は欲界、色界、無色界をいいます。
欲界は、婬欲・食欲の二つの欲望をもつ生きものが住む領域です。
六道の中でも、地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間界と、天上界の一部である六欲天までが含まれます。
色界は、その上の領域で、物質的な制約は残るものの、婬欲と食欲をはなれたものが住むところです。
これは禅定によって到達するとされる領域をさしています。
最上層は無色界で、物質的制約をもはなれた高度に精神的な世界です。
三界は火宅だというのは、迷いと苦しみの世界を燃え盛る家にたとえたものです。
『法華経』には、「三車火宅の譬え」という有名な物語があります。
昔、あるところに大金持ちの長者がいました。
広大な屋敷に住み、多くの財産を持ち、召使いも大勢いました。
ところが、その屋敷は古くなり、柱は腐り、壁は崩れ、屋根も傾いていました。
ある時、この屋敷から突然火が出ました。
火はたちまち燃え広がり、屋敷全体が炎に包まれようとしていました。
長者は驚いて外に逃げ出しましたが、屋敷の中には三十人もの子どもたちが遊んでいたのです。
子どもたちは遊びに夢中になっていて、火事になっていることにも気がつきません。
長者は大声で叫びました。
「おまえたち、火事だ。早く外に逃げなさい」
しかし、子どもたちは父親の言葉に耳を貸そうとしません。
火事の恐ろしさも、自分たちの命が危険にさらされていることも分からないのです。
長者は困り果てました。
そこで、子どもたちが普段から珍しい車のおもちゃを欲しがっていたことを思い出しました。
そして、大きな声で呼びかけました。
「おまえたちが欲しがっていた羊の車、鹿の車、牛の車が、門の外に置いてあるぞ。早く出てきて、好きな車を選びなさい」
これを聞いた子どもたちは大喜びしました。
我先にと争うようにして、燃えさかる屋敷から飛び出してきたのです。
こうして子どもたちは、一人も怪我をすることなく、無事に助かりました。
長者は心から喜び、ほっと安心しました。
ところが、子どもたちは父親に言いました。
「お父さん、約束してくれた羊の車や鹿の車、牛の車をください」
すると長者は、子どもたち一人ひとりに、立派な白い牛が引く大きな車を与えたのでした。
その車は、さまざまな宝物で美しく飾られ、広々として、子どもたちが想像していたものよりも、はるかに素晴らしいものでした。
長者は、どの子どもも分け隔てなく愛していたので、皆に等しく最高の車を与えたのです。
お釈迦様は、この物語を説かれて、舎利弗に問いかけました。
「この長者は、子どもたちに嘘をついたことになるだろうか」
舎利弗は答えました。
「いいえ、決して嘘にはなりません。長者は子どもたちの命を救うために方便を用いたのです。しかも約束したものより、はるかに素晴らしい車を与えたのですから」
お釈迦様は、その答えを褒められました。
そして、如来もまた、この長者のように、すべての生きとし生けるものを我が子のように慈しみ、苦しみから救い出すために、さまざまな方便を用いて教えを説くのだと示されたのであります。
このような譬え話が『法華経』に説かれているのであります。
『法華経』には「私たちが生きているこの三界には、まことの安らぎというものがありません。
それは、あたかも燃え盛る家の中にいるようなものです。
そこには、さまざまな苦しみが満ちあふれていて、まことに恐ろしいところなのです。」と説かれています。
さらに「今此の三界は、皆是れ我が有(う)なり。其の中の衆生は、悉く是れ吾が子なり。
而(しか)も今此の処は、諸(もろもろ)の患難(げんなん)多し。
唯(ただ)我れ一人のみ、能(よ)く救護(くご)を為す。」と説かれます。
「けれども、今、この三界は、すべて私のものであります。そして、その世界に生きているすべての人々、生きとし生けるものは、ことごとく私の子どもなのです。
ところが、今、この世界には、さまざまな苦しみや災難が満ちています。
そのような苦しみの中にあるすべての者を、救い、守ることができるのは、ただ私一人なのです。」という意味であります。
この三界に生きる人々を苦しみから救っていこうという、大きな願いをもって修行に励んでもらいたいものであります。
横田南嶺