仏舎利の由来
先日このご開帳にあたり、舎利講式をお勤めしたのでした。
その舎利講式には、この仏牙舎利が、どのような因縁によってインドから中国に伝わり、さらに日本に渡って円覚寺に納められるようになったのか、その由来について説かれています。
それははじめに、お釈迦さまの涅槃から始まります。
お釈迦さまは、八十年の生涯を全うされて、最後に拘尸那城(クシナガラ)に入り、沙羅双樹の間で涅槃に入られました。
しかし、お釈迦さまは本来、病のない方でありながら病を示し、本来、不滅でありながら滅する姿を示されたのだと述べられています。
これは、お釈迦さまが肉体としては亡くなられても、その真実のいのちは決して滅することがないという教えを表しています。
そのことを「竹影、階を払うて塵動ぜず。月、潭底を穿って水に痕無し」という禅語で表現しています。
竹の影が階段を掃いても塵は動かず、月の光が深い淵の底まで届いても水には跡が残らないという意味であります。
生まれて死ぬという姿を現しながらも、その本体、真実のいのちは微動だにしていないことを表しています。
お釈迦さまが涅槃に入られた後、そのご遺骨である舎利を、帝釈天が七宝の塔に納め、天上に持ち帰って供養していました。
ところが、ある魔王が捷疾鬼という鬼を遣わして、この舎利を奪わせたのであります。
これを知った毘沙門天は、ただちに鬼を捕らえて舎利を取り戻しました。
帝釈天はその功績を喜び、舎利の中からお釈迦さまの右上の歯を選んで、毘沙門天に授けたのであります。
毘沙門天は、その仏牙舎利を太子の張瓊に託し、大切に守護させました。
これが仏牙舎利が天上に伝えられた由来であります。
その後、中国の唐の時代に、終南山に道宣律師という高僧がおられました。
道宣律師は戒律を厳格に守り、その徳が高かったため、天人たちが昼夜を問わず守護していたと伝えられています。
ある夜、道宣律師が庭を歩きながらお経を唱えていると、誤って足を踏み外し、倒れそうになりました。
すると、背後から一人の若者が現れて、律師の身体を支えたのであります。
不思議に思って何者かと尋ねると、その若者は、自分は普通の人間ではなく、毘沙門天の太子である張瓊だと答えました。
そして、道宣律師の戒徳が優れているので、毘沙門天の命令によって守護しているのだと告げました。
道宣律師は、この機会にお釈迦さまの生涯についていろいろと尋ねました。
やがて仏牙舎利の話になると、道宣律師は、ぜひともその舎利を拝ませていただきたいと願い出ました。
すると張瓊は、それまで守護していた仏牙舎利を道宣律師に授けたのであります。
道宣律師は、夜には仏牙舎利を捧げ持って経を唱え、昼には地中に大切に納めて守護しました。
その後、杭州に能仁寺を建立して、この仏牙舎利を納めたと伝えられています。
これが仏牙舎利が中国に伝来した由来であります。
さらに時代が下って、日本の鎌倉時代、建保年間のことであります。
鎌倉幕府の将軍源実朝公が、ある夜、不思議な夢をご覧になりました。
夢の中で実朝公は、中国の能仁寺を訪れていました。
そこでは一人の高僧が法座に上って説法していました。
実朝公が寺の僧に、その高僧は誰かと尋ねると、道宣律師であると答えました。
道宣律師は、はるか昔に亡くなっているはずではないかと不思議に思って尋ねると、僧は笑って、聖者の働きは生死を超えているのであり、今は日本の鎌倉に生まれ変わっていると答えました。
そして、その生まれ変わりこそ源実朝公であると告げたのであります。
驚いた実朝公は、そこで夢から覚めました。
不思議なことに、同じ夜、寿福寺の栄西禅師と、雪ノ下の良真僧都も、まったく同じ夢をご覧になったのであります。
翌日、三人が集まって夢の話をすると、同じ夢であったことが分かりました。
そこで実朝公は、自分が道宣律師の生まれ変わりであると知り、武士十二人を使節として宋に派遣しました。
使節は能仁寺を整備し、そこに勅封されていた仏牙舎利を請い受けて日本に持ち帰り、鎌倉の大慈寺に安置したのであります。
こうして、インドから天上に伝わり、中国の道宣律師に授けられた仏牙舎利が、日本の鎌倉に伝えられたのであります。
さらに弘安年間になって、北条貞時公が深く仏牙舎利を尊崇し、これを円覚寺のある瑞鹿山に移しました。
そして舎利殿を建立し、仏牙舎利を安置して、末永く国家の安泰を祈る道場としたのであります。
これが円覚寺の舎利殿に仏牙舎利が祀られるようになった由来であります。
もっともこれらは、円覚寺の舎利講式に書かれている物語であって、歴史的な事実ではありません。
舎利講式では、この円覚寺に祀られている仏牙舎利を礼拝することは、霊鷲山で生きておられるお釈迦さまに直接お目にかかるのと同じ、まことに尊い因縁だと説かれています。
しかし、私たち凡夫は、ただ目の前の宝塔に納められた舎利を拝むだけで、自分自身にも仏の尊い働きが具わっていることを知らないと戒めています。
そして、自らの修行に励むことこそが、お釈迦さまの恩徳に報いる道であると説いています。
そんな文章を読みながら、舎利を礼拝しているのです。
今年は季刊誌『円覚』に連載してくれていた、横山友宏和尚と、その奥様由馨さまの画による冊子を作成して、参列の皆様に配っていました。
この舎利の由来について、由馨さまの優しい画で描かれています。
横田南嶺