仏舎利の不思議
そこで舎利講式という法要をお勤めしています。
舎利講式では、仏舎利がインドから中国を経て鎌倉に至る経緯が記されています。
さらに、仏舎利の不思議な働きについて讃えています。
その中に、康僧会という僧の逸話が説かれています。
康僧会について岩波書店の『仏教辞典』には、
「三世紀頃、三国、呉で活躍した仏僧。
父の代にインドから安南国の交趾(現在のハノイ付近)に移住した。
康僧会の「康」は康居(中央アジアのシル河下流域)出身を表す。
二四七年、呉の都建業(江蘇省南京市)に入り、粗末な家に仏像を祀り、仏道を行じていたところ怪しまれ、呉主孫権に仏教の霊験について詰問された。
孫権にはでたらめであるとして危うく罪せられそうになったが、三週間後、霊験のある仏舎利を感得して孫権に献上したところ、孫権は舎利の威神に服し、約束どおり康僧会のために塔寺(建初寺)を建てた。
これ以来,江南の地で仏教が盛んになったという。」と解説されています。
そのことについて舎利講式では物語として語られています。
昔、中国の三国時代に、康僧会という僧が呉の国に渡りました。
呉の国王孫権は、康僧会に対して、祈りによって仏舎利を現すことができれば仏塔を建てて供養するが、できなければ刑罰を加えると申し渡しました。
康僧会は七日間祈りましたが、何のしるしも現れません。
さらに七日間祈っても同じでした。
そこで、最後に二十一日目までの猶予を願い出ました。
康僧会はともに祈る僧たちに、「仏法がこの国に興るか滅びるかは、このことにかかっている。霊験が現れなければ死を覚悟しなければならない」と語りました。
一同は必死に祈りましたが、二十一日目の夜になっても何も起こりません。
皆が涙を流して悲しんでいたところ、夜明け前になって、突然、瓶の中から澄んだ音が響きました。
見ると、瓶の中に仏舎利が現れ、五色の光を放って輝いていたのであります。
孫権はその真偽を確かめようと、舎利を打たせました。
しかし、台や道具の方がくぼんでしまい、舎利には傷一つつきません。
さらに火に入れても燃えることなく、かえって炉の炎が大きな蓮の花のようになり、光明が宮殿を照らしました。
これを見た孫権も家臣たちも深く感動し、喜びの涙を流しました。
こうして孫権は仏法を尊ぶようになり、呉の国に寺院を建立しました。
それが建初寺であり、その土地を仏陀里と呼ぶようになったと伝えられています。
また、中国の宋の太祖にも、仏舎利にまつわる逸話があります。
太祖は、仏牙舎利が本物であることを疑い、真っ赤に焼けた炉に入れ、槌で打って確かめようとしました。
ところが舎利は少しも損なわれず、かえって美しい光を放ちました。
太祖は深く感動して、それまで疑っていたことを懺悔し、自ら発願文と讃嘆の偈を作りました。
そして舎利を宝塔に納め、能仁寺に賜ったのであります。
その後も、真宗、仁宗、英宗、徽宗という四人の皇帝が舎利を宮中に迎え、供養しました。
そのたびに、さまざまな不思議な現象が起こったと伝えられています。
仏舎利がどのように分布されていったかについても説かれています。
お釈迦さまは涅槃に入られた後も、なお後の世の人々を憐れみ、無数の舎利をこの世に遺されました。
帝釈天は釈尊の歯をいただき、三十三天に仏塔を建立しました。
また、難陀龍王は釈尊の髭をいただき、八万余里にも及ぶ水晶の世界を、その尊い舎利によって輝かせたのであります。
釈尊の遺骨は八つの国に分けられ、それぞれの国が仏塔を建立して供養しました。
その後、アショーカ王は、広く仏舎利を閻浮提という人間世界に分け与え、八万四千もの仏塔を建立したと伝えられています。
また、日本の聖徳太子が誕生されたときには、その手に仏舎利を握りしめ、「南無仏」とお唱えになったと伝えられています。
『大般若経』には、次のように説かれています。
「仏は大いなる慈悲の心をもって、すべての生きとし生けるものをご覧になり、舎利によって救われるべき人々のために、金剛のように堅固なご自身の身体を砕き、芥子の粒ほどの小さな舎利とされた。
もし、その舎利を一粒でもいただいて供養する者があれば、その人は人間界や天上界において、さまざまなすばらしい喜びを受け、ついには一切の苦しみを尽くすことができる」というのです。
仏舎利は法界のすべてに行き渡っているとはいえ、実際にその舎利に巡り合うことは、まことにまれなことであります。
たとえば、性烟というバラモンは、釈尊の舎利を八つの国に分ける役目を務めたにもかかわらず、自分がいただくことができたのは、舎利を納めていた瓶だけでありました。
それでも、その瓶をお祀りするために仏塔を建立したのであります。
また、畢婆羅延というバラモンは、釈尊を荼毘に付した場所の灰をいただいただけでありましたが、その灰をお祀りするために仏塔を建立しました。
このように、仏舎利そのものに巡り合うことは、まことに難しいことなのであります。
それに比べて、私たちは何という幸運に恵まれていることかと、舎利講式では述べられています。
この末世に生まれながら、お釈迦さまの仏舎利に巡り合い、これを供養することができたのであります。
これは、はるか昔から積み重ねてきた、尊い因縁によるものではないかというのです。
それゆえ、私たちは一人ひとりが、大いなる勇猛心を起こし、この一生のうちに、仏道の根本の大事を明らかにし、それによって、報いても報い尽くせない仏のご恩に報いなければならないと説かれています。
もっともここに書かれていることも円覚寺の舎利講式に書かれていることであって、すべて事実であるわけではありません。
今年も、このような舎利講式の文章を拝読しながら、仏舎利を礼拝していたのでした。
横田南嶺