達磨忌を終える
午前十時から佛殿で法要を行いました。
達磨大師は、禅の初祖とされて尊崇されています。
ただ達磨大師のことについては分からないことが多いのです。
筑摩書房の『禅の語録1 達摩の語録』のはじめに、柳田聖山先生が、
「達磨、もしくは達摩と書いて、ダルマとよむ。いうまでもなく、禅宗の初祖のことである。もともと、インドの原語を漢字で音写したのであり、これをダルマとよむのは、日本人の習慣による。くわしくは菩提達磨(摩)で、古くは道法と訳されることがあり、今日の学界では、bodhidharmaの原語をあてる。したがって、達磨(摩)だけでは「法」の意であるが、禅宗でこの訳語を用いることはない。」と書かれています。
さらに柳田先生は「中国禅宗の初祖としてのダルマの史実は、ほとんど確かなことがわからない。」と説いておられます。
よく分からないのであります。
柳田先生は「一般には、宋初にまとめられた『伝灯録』(真理の火を伝える書)や、『碧岩録』(碧い岩の寺での集録)などの公案により、かれが南インドより海路はるぼる中国に来て、南海広州の地に上陸したことや、梁の武帝との会見のものがたり、さては、武帝の学問仏教を嫌って華北に去り、嵩山少林寺にひとり坐禅をつづけていたとき、のちに二祖となる恵可が、かれに参じ、片一方の腕をきってその意を示したので、ついに無上の心法をつたえたなどという話が知られているが、いずれも中国禅の理想を人格化したもので、他の歴史的な人物の伝記とは、かなり性質を異にする。」
と書かれています。
私たちが語録や公案で学ぶ達磨大師の物語の多くは、後世になって形づくられていったものであります。
「まして、かれの語録とよばれるものは、一個の歴史的人物としてのダルマが自から書いたものでもなければ、かれの説法の言葉を伝えるものでもない。それらはすべて、かれを祖とする初期禅宗のひとびとの多くの主張をまとめたものであり、ふつうに禅の語録とよばれるものの中でも、いっそう特殊なものである。」
とも柳田先生は仰っています。
達磨大師の教えとしては、二入四行というのが伝わっています。
そのはじめには、
「いったい、真理にいたる方法は多いが、つづめていえば、二つにつきる。
第一は、原理的ないたり方であり、第二は実践的ないたり方である。
原理的ないたり方というのは、経典によって仏教の大意を知り、生きとし生けるものは、凡人も聖人もすべて平等な真実の本質を持っているが、ただ外来的な妄念にさえぎられて、その本質を実現することができぬだけのことだと確信するのであり、もしも、妄念を払って本来の真実にかえり、身心を統一して壁のように静かな状態にたもち、自分も他人も凡人も聖人も、ひとしく一なるところに、しっかりと安住して動かず、決して言葉による教えによらないならば、それこそ暗黙のうちに真理とぴったり一つになり、分別を加えるまでもなく、静かに落ちついて作為がなくなる。これを原理的ないたり方と呼ぶ。
つぎに、実践的ないたり方というのは、謂うところの四つの実践であり、その他の多くの実践は、すべてこれらのいずれかに含まれるのである。
四つとは何かというと、第一は前世の怨みに報いる実践であり、第二は因縁に任せる実践であり、第三はものを求めぬ実践であり、第四はあるべきようにある実践である。」
と説かれています。
「凡人も聖人もすべて平等な真実の本質を持っている」というのは、人は皆仏心を具えていることを言っています。
『達摩の語録』には、
「問う、「仏心とは何をいうのですか」。
答う、「心が特殊な形をもたぬのを、真如(ありのままなるもの)と呼ぶ。
心の変化せぬのを、法性(存在の本質)と呼ぶ。
心が支配されるものをもたぬのを、解脱と呼ぶ。
心そのものが碍げられないで自由なのを、菩提(悟り)と呼ぶ。
心そのものが静かに落ちついたところを、涅槃(迷いの消滅)と呼ぶ」。
という言葉があります。
後に馬祖禅師は、
「諸君、それぞれ自らの心が仏であり、この心そのままが仏であることを信じなさい。
達磨大師は南天竺国からこの中国にやって来て、上乗一心の法を伝えて諸君を悟らせた。」
と言って、達磨大師の教えは「自心是れ仏である」ことだと示されています。
馬祖禅師がこのように説かれて、岩波書店の『仏教辞典』にも、馬祖禅師のことを「こんにちまで伝わる中国禅の実質的な創始者。」とされています。
また『仏教辞典』には、
「その思想は「即心即仏(即心是仏)」(他ならぬこの心こそが仏である)、「平常心是道」(ありのままの心が道である)という成句に要約され、それを理論として説くのではなく、当意即妙な問答により修行者自身に悟らせる点に馬祖禅の特徴があった。」
と解説されています。
馬祖禅師の法を継いで大梅山に住した法常禅師は、幼いころから荊州の玉泉寺で修行していました。
その後、初めて馬祖禅師に参じました。
法常禅師が、「仏とは、いったい何でしょうか」と問うと、馬祖は、「即心是仏―この心こそが、そのまま仏である」と答えました。
法常禅師は、この一言を聞いて、たちまち大悟しました。
唐の貞元年間、法常禅師は余姚の南七十里ほどにある、かつて梅子真が隠棲したと伝えられる地に住むようになりました。
そして後に『無門関』第三十則に
「馬祖、因みに大梅問う、如何なるか是れ仏。祖云く、即心是仏。」と記されて、公案として参究されていくようになります。
達磨大師が説かれたとされる「凡人も聖人もすべて平等な真実の本質を持っている」という教えが、馬祖禅師によって「この心そのままが仏である」と説かれて、さらに「即心是仏」という公案になっていったのでした。
私達が参禅して学ぶ教えのもとが達磨大師なのであります。
そんなことを思いながら、達磨大師の法要をお勤めしていました。
横田南嶺