参道を歩きながら
静かに日常に戻っていくという感じがしています。
今年の開山忌十月三日は土曜日となりました。
そこで、ある方から、今年の開山忌は、土曜だったので、大勢の方が参道にいらっしゃったと言われました。
ところが、私には参道に大勢の人がいたという感じはしなかったのです。
私は儀式として歩きますので、あまり周囲を見ていないということもあります。
それよりも私に見えていたのは、参道にいる人ではありませんでした。
参道にたくさんのスマートフォンが並んで、こちらを見ていたという思いなのであります。
人ではなくスマホがたくさん並んでいたのでした。
そこで歩きながら、こんな言葉を思いついていました。
合わす手が いつしかスマホとなりにけり
令和の秋の開山忌終ふ
和歌などと言えるようなものではありません。
かつては合わす手が見られたものでした。
カメラを持っている人は限られていたのでした。
スマートフォンがカメラになっているので、今は誰もがカメラマンになっているのです。
以前ある方から、スマートフォンで景色を写している人を見ると、その身体が空白に見えると言われていたのを思い出します。
その方は身体のことに詳しい方でありました。
スマホの方に意識が取られてしまって、身体性が失われているということかと思いました。
スマホが身体に及ぼす影響はとても大きなものだと私も思っています。
まずスマホを見ようとすると、首が前に垂れてしまいます。
ストレートネックと言われるようであります。
巻き肩にもなりがちです。
猫背にもなります。
腰も曲がります。
スマホの普及で人類の姿勢が大きく変わるのではないかと思っています。
私は姿勢や身体の研究をしているので、いろんな人の姿勢が気になりますが、首がスッと伸びた人を見かけることが少なくなってきています。
これが心にも影響を及ぼすことがあろうかと思います。
首や肩が凝ると、イライラしてしまいます。
首が前に傾くと、首にかかる重さはかなりのものになります。
この頃は人工知能AIの進歩によっても大きな影響が出ると思います。
人間の思考や行動が変わってくるのではないかと思うほどです。
もっとも人類はそのように進化や進歩の過程で変化してきたのでした。
かつては文字などはなかったのでした。
実際にその人に会って、その人の声を聴いて理解していたのでした。
それが文字に書くことで、その人に会わなくても情報が伝わるようになりました。
お釈迦さまの教えも長らく文字に書かなかった時代がありましたが、神聖な教えを文字に書くことは憚られたのでした。
直に出会っていないのに、文字だけで理解することは良いとは思われなかったと察します。
それが文字が普及すると、文字を読むことが立派なことだとされてきました。
文字を読まないようなのは、さげすまれるようになったのでした。
しかし文字を使うことによって、観念的な思考も発達しました。
そのために、本質を見失うこともあるし、却って苦しむこともあります。
そこで禅の修行では、一度文字を否定するのです。
文字にする以前の世界を体験するようにしています。
これからはスマホやAIによって大きく変化していくでしょう。
そうなると、かつて文字を離れる修行をしたように、スマホやAIを離れる修行も必要となるのかもしれません。
開山忌を終えて次の日は達磨大師のご命日の法要となります。
四日は午後四時から、達磨大師のご命日の前日の法要を務めます。
そこで三時半頃に佛殿に向かおうとすると、参道の中央を、お茶会の帰りと思われるご婦人たちが、横一列に並んでお歩きになっていました。
私が参道を通ろうにも、通ることができません。
それぞれご立派なお着物をお召しで、帯も素晴らしいものです。
大きな声でお茶会の話をしながら、お歩きになっていました。
どうにか隅っこに人が一人通れるだけの隙間がありましたので、そこを小さくなってすり抜けました。
昨日は管長として中央を歩いていましたが、それは一時のことで、次の日には隅っこを、身を屈めて通っていました。
神社などでは、参道の中央は神様がお通りになるところとして、中央を避けるように教えられることがあります。
お寺でも、参道の中央を避けて歩くように教えられてきました。
それ以前に参道を横一列に並ばれると後ろの人が通れないので、それくらいは気をつけたらいいのではないかと思っていました。
きれいなお着物と、大きなお声とが響いていました。
なにかワビやサビの精神とはかけ離れているように感じていました。
そう思いながら、考えてみると、自分の方こそ、その前の日には、大勢の行列で参道の真ん中を歩いていたのでした。
しかも行列の最中は通行止めにまでしていたのでした。
それを思うと恥ずかしくなります。
これは謙虚であらねばならぬぞという教えを伝えてくださったのだと分かりました。
何を見ても、まず我が身を振り返るようにしなければと思いました。
道を歩きながら、あれこれと思ったものでした。
横田南嶺