とらえる、とらわれずに
今回は私一人で個人稽古をさせてもらいました。
このところ、修行僧たちと一緒になって学ぶことが多かったのですが、久しぶりに一人で教わりました。
まずはじめに「とらえる」ということを教わりました。
足の裏で床をとらえて歩くのです。
足の裏で床を意識するというのではありません。
この「意識する」と、「とらえる」との違いが、はじめはよく分からずに、いろいろ質問させてもらいました。
意識すると、それは部分的なものになって、身体がバラバラになってしまい、まとまりがなくなるというのです。
とらえるというのは、能動的なはたらきかなと思いました。
この頃、私がボールを使って足首を回すのに、足の裏でボールをとらえながら、回していくことを行っていますので、それと共通しているところがあるように感じました。
能動的ではありますが、それと同時に、受動的に感覚を受けとめることも行っているのだと、井上さんは仰っていました。
いろいろ教わるうちに、「とらえる」というのは、力を入れてつかむのではなく、触れているところを感じながら、そこに身体全体がつながっているような感覚なのだと思いました。
井上さんはこの頃、中国武術でよく行われる馬歩というのを毎日行っているそうです。
基本となる立ち方の一つです。
馬に跨(またが)っているかのように腰を低く落として静止するのです。
今回教わったやり方では、足の幅は肩幅の二倍ほどに開きます。
腰は、空中に椅子があるかのように、太ももが地面と平行になるくらいまで落とします。
かなりきつい体勢です。
それで背筋をまっすぐ伸ばし、胸を張りすぎないようにします。
三十秒もすれば足がブルブル震えてきます。
井上さんは毎日三分行っているそうです。
足がきつくなるので、そこから逃れようとします。
上の方へと気が上がって、散ってゆきます。
身体もバラバラになってしまいます。
それでも足でとらえることを保っていると、きつくてもだいじょうぶになるのだというのです。
その話を聞いていて、坐禅にも似ていると思いました。
坐禅も慣れないうちは足が痛くなります。
そうすると、逃れたいと思います。
足を崩したいとか、はやく終わらないかとか、あれこれ意識がはたらきます。
心がチリチリバラバラになってしまいます。
これでは全く坐禅になりません。
しかし、この時に痛いは痛いに任せてしまい、「なあに、どれほど痛くたって、足が折れるほどではない」と腹を決めて、逃げようとしなくなると、それで案外坐れるようになるのです。
足で床をとらえるようにと歩いていると、自然と足音もしませんし、身体もまとまりが出てくるから不思議です。
指先で相手を押していくという稽古を行いました。
ここで教わったことが「追い越さない」ということでした。
何をどう追い越さないのか、教わっているうちに分かってきました。
指で相手の手のひらに触れていて、相手を押そうとします。
なかなか押せないので、肩や腕が力んでしまうと、なお一層抵抗されて動かなくなります。
これは、肩や腕が指を追い越していこうとしているのです。
これが力みなのです。
それを指先の触れているところをとらえておいて、手首、肘、肩、胴体、腹と、順番に追い越さずに、押していくと、自然と押すことができます。
指で押せるようになると、今度は棒を使って稽古をしました。
お互いに棒の両端を持っておいて、相手を押すのです。
先ほどのように力で押しても力で抵抗されてしまいます。
相手が棒を持っているところをとらえておいて、こちらの手には力を一切入れずに、順番を守って押してゆきます。
どうしても手に力が入ってしまったり、腕に力が入ったりしてしまいます。
うまく押せると、何の力も入れずに押せるようになるのです。
それから、自分の指で壁をとらえて立ってみます。
何もしないで立つのと、壁を押して立つのと、壁を指先でとらえて立つのとでは違うのです。
指先でとらえて立つと実に身体がまとまり安定するのです。
足の裏で床をとらえるというのと、足の裏で床をつかもうとするのとではまた違うのです。
つかもうとすると強過ぎてしまいます。
集中と執着の違いのようなものだというのです。
子供を見ているという状況でも、まわりが何も見えなくなるほど、その子供だけをじっと注視するのと、子供の姿をとらえるのとでは違います。
子供をとらえている時には、子供をしっかり見ながら、そのまわりの状況も把握できているのです。
集中というのはいつでも手放せる状態であり、執着はとらわれてしまい手放せなくなっている状態です。
こういう稽古をしていると、単に身体のことだけでなく、心の問題にも大いに通じていると感じます。
とらえるととらわれるのとは大きな違いがあります。
心が何かにとらわれてしまうと、執着となります。
とらえるとは能動的にはっきりと認識しながらも、とらわれてはいないのです。
足の裏で床をとらえたまま、片足立ちをしてみると、よく分かりました。
片足で床をとらえているところを保っていると、片足でも身体はかなり自由に動けるのです。
しかし、棒立ちのようになってしまうと、すぐにバランスを崩して倒れたり、動けなくなってしまいます。
とらわれない心を大事にするのですが、それは単になにも感じない、ぼんやりしたものではありません。
きちんと足元をとらえているからこそ、とらわれなくなるのだと学んだのでした。
いろいろな話をしながら、身体の不思議や心のはたらきを学ぶ、楽しく充実したひとときでありました。
こうして学んだことを、また何かに活かせないかと工夫していくのであります。
横田南嶺