ありがたいこと、うれしいこと
世の中にはありがたいことがあり、うれしいことがあるものです。禅文化研究所の所長に就任して、三年ほど京都の往復を繰り返してきました。
いろいろのことがありましたが、どうにか新しい『禅文化』を出すことができました。
どのような反響があるのか、戦々恐々としていました。
なにせ大幅に改めたものですから、反発も当然あることであります。
いろいろなご意見もあろうかと思いますものの、何はともあれ、発行して数日で在庫がなくなり、新たに千部増刷が決まったのでした。
これはありがたいことであります。
かくしてありがたいこと、うれしいことというのはあるものだとしみじみ思った次第であります。
この『禅文化』の刷新に当たっては、研究所の評議員でもある小川隆先生にはひとかたならぬお力添えをいただきました。
第三者の目線から的確なご意見を賜ることができました。
おかげで軌道修正ができたのでした。
小川先生からは、「何気なく開いて読み始めたら、ぐんぐん引き込まれ、一気に全頁読了してしまいました。」「一冊の雑誌をスミからスミまで残らず読み尽くしたのは、何年ぶりのことか知れません」というお言葉をいただきました。
「僧堂の世界を知らない我々在家者、実際に僧堂修行をされた和尚さま方、今、現に修行中の雲水さんたち、そして、これから僧堂に向かおうとする若い人たち、そのいずれにとっても、啓発に富み、意義深く、味わい深い内容になっていると思います。」というお言葉にも感激しました。
苦労が報われた思いであります。
小川先生もとりわけ高く評価されていたのが、なんといっても政道徳門老師の論稿であります。
政道老師は論稿の中で、公案の工夫について述べておられます。
修行道場に入った修行僧は、老師から趙州無字や隻手音声という公案を与えられます。
無字の公案なら、全身全霊あげて無字に参じていくのです。
そのあとで政道老師は息を数える数息観や、出入りの息を見つめる随息観の必要性を説かれています。
政道老師は「できればこれらの公案に参じる前に「数随の工夫」、とくに随息観の修行をしっかりとしておくことが望ましいように思う。
というのも、集中して三昧に入るとはいえ、呪文をくり返し唱えるように公案に参じ続けているうちに、知らぬ間に心が閉じてしまうことが多々あるからだ。」と指摘されています。
さらに老師は「すなわち公案に没頭している間、修行者は自分の抱えている不安感や苦しみに、つけいる隙を与えないようにすることができる。
これは一見すると集中の証のようではあるが、実際には「見たくない自分に心を開かずに済ませてしまう」という危険をはらんでいる。
その結果、何年もかけて様々な公案に参じてきたにもかかわらず、根本的な苦しみは何ひとつ解決していないーこうした例は少なくない。」
というのです。
公案禅とか看話禅と言われる修行が今の臨済禅では行われています。
これには良い面もたくさんあります。
私などもこの公案に参じるおかげで、長い間坐禅をすることができました。
公案のおかげで、たくさんの語録を学ぶことができましたし、多くの禅語を暗唱することもできました。
それに多くの気づきをいただいたものです。
この公案禅の素晴らしさというものはたしかなものであります。
しかし、何においても良い面もあれば、そうでない一面もあるものです。
かつて私は、「公案禅の功過」と題して講演をしたことがありました。
「功過」とは、良い面と問題点という意味です。
どうも公案をやればそれですべてが解決するかというと、それにはどうも違和感があると感じていたものです。
『臨済録』の中で臨済禅師が次のように述べておられます。
岩波文庫の『臨済録』にある入矢義高先生の現代語訳を参照します。
「皆の衆、衣に目をくれてはいけない。衣は自分では動けない。人がその衣を着るのだ。
衣には清浄衣や無生衣や、菩提衣や涅槃衣や、祖衣や仏衣などがある。
しかし皆の衆、こうした名前や文句はすべて、対象に応じて着せかけた衣だ。」
衣が問題ではなく、そのような衣をすべて剥ぎ取った無位の真人こそが臨済禅師の説かれたところです。
もっとも公案というのは、そのような衣を剥ぎ取ってくれるものです。
ところが、公案を参究しているうちに、多くの公案に参じ、それを透過したということが、新たな衣になってしまっていることがあります。
政道老師の指摘されるように、「見たくない自分に心を開かずに済ませてしまう」ことになったり、「根本的な苦しみは何ひとつ解決していない」ことにもなりかねないのです。
自己自身の問題であるはずが、いつしか公案というものにすり替わってしまっている危険があるのです。
そうなると、たくさんの公案を調べたと言いながら、その人自身をよく見ると、全く自我がとれていないどころか、自我や執着が一層強くなっていると感じることもあるのです。
公案の修行には良い面もあるけれども、どこで間違うのかと疑問に思っていたところを、政道老師は的確に指摘してくれています。
こういう老師が公案を用いてご指導なされば間違いはないと思ったのでした。
ともあれ、このような深い内容の論稿から、見ただけで分かる修行道場の様子も写真でたくさん掲載されています。
修行僧たちの写真は政道老師が指導されている円福寺僧堂の雲水さんです。
政道老師のご尽力あっての新『禅文化』なのであります。
それだけにありがたく、またすぐに増刷になってうれしいのであります。
横田南嶺