禅とジブリ対談
しかしながら、この時代になって「禅とジブリ」という話題になるとは思いもしなかったことです。
淡交社から『禅とジブリ』という本が出版されたのが八年前のことであります。
この本が増刷を重ねているというのですから不思議であります。
この本は、ジブリのプロデューサーである鈴木敏夫さんと、野沢龍雲寺の細川晋輔さん、玄侑宗久さん、そして私が、それぞれ対談をして一冊の本になっているのです。
もともと月刊『なごみ』という雑誌に連載していたものを、新たに加えて出版されたものです。
今度は第七刷が出るというのですから驚いています。
その本をまた作ろうというのか、ジブリの鈴木敏夫さんとの対談を依頼されたのでした。
昨年も一度、細川さんとともにお話させてもらったことがあります。
改めて鈴木さんと対談することになって、この『禅とジブリ』の本を読み返していました。
読んでいると、この本は実におもしろいのです。
なるほど版を重ねる人気があるわけだと感じました。
だいたい、私は一度出版した本を読み返すことはしないのです。
過去を振り返らないという信条なので、出すまでは精一杯力を尽くしますが、本が出来たら、もう省みないのです。
それで本が出されて、増刷が続いていると聞いていながら、全く手にとることも開くこともなかったのでした。
禅とジブリといってもどこがどう関わっているのか、私もいまだに分かりません。
そもそも、この頃は禅というのが、どんなものか、ますます分からなくなってきているので、何が禅だか語り得ないのです。
ジブリの人が参禅したのか、ジブリの作品に禅の世界が描かれているのかもよく分かっていません。
おそらくそういうことではないのです。
しかし、どこか共通しているところがある、通じ合うところがあるというのだと察します。
ひとつ感じるのは、「今、ここ」を生きることでしょう。
鈴木さんと対談していて、ジブリの宮崎駿さんと長年一緒に仕事をしているけれども過去の話をしたことがないと言っていました。
宮崎さんは、いつも現在だけを生きているというのです。
それが証拠に、新しい映画の作成に入るときに、「作り方忘れちゃった」というのだそうです。
これは極めて禅的であります。
一回一回が新たであると言えます。
あの『もののけ姫』を作られたときに、鈴木さんはその初々しさに驚いたと仰っていました。
この『禅とジブリ』の対談は、今から九年前に行われています。
鈴木さんと私との対談のはじめに、私はジブリとかはやりものは嫌いだと言っているのです。
ずいぶん失礼なことを申し上げたのだと今更ながら反省します。
これは事実です。
ジブリやアニメなどに興味も関心もなく、坐禅をして生きてきたのです。
それで対談のために、ジブリ作品を五本見たと書いています。
今回は五本を見る時間もなくて、三本を拝見しました。
とりわけ対談で、『君たちはどう生きるか』を取り上げると聞いていましたので、拝見しました。
このアニメは難しくて、二度拝見しました。
二回目で、こういうことを言わんとしているのかと思えるようになりました。
また文春ジブリ文庫ジブリの教科書21『君たちはどう生きるか』も拝読しました。
この文庫本を読むと、この作品を作るのに、どれほどのご苦労があるのかがよく分かります。
ただぼんやり観ていたのでは申し訳ないと思いました。
そんなことを鈴木さんに伝えると、「いえ、楽しんで見てくれればいいのですよ」と仰ってくださり、ホッとしたのでした。
それは宮崎さんも同じように仰るそうです。
その作品についていろんな見方や意見を聞くよりも、楽しかったと言ってもらえるのが嬉しいそうです。
『君たちはどう生きるか』という本の中に、とても心に響いた言葉がありました。
「暴力に溺れず、自然を破壊せず、人間の複数性と脆弱性、そしてその罪の歴史を認め、暗闇の中で生きていくための思考のかたちの形成に、すなわち、人びとの批判的知性の形成に、スタジオジブリの作品が果たした役割はディズニーの作品の比ではない。」
という言葉です。
こういうところには、大いに共感するのであります。
細川さんは熱心なジブリファンなのですが、私のようににわかに勉強しただけの者が、高名な鈴木さんと対談をさせてもらえるのは恐縮であります。
このたび『禅とジブリ』展が、京都の京セラ美術館で、十月三日から十二月六日まで開催されることになっています。
そのために円覚寺の修行道場で修行している様子を撮影したいというので、昨年協力したこともあったのでした。
その時に撮った写真などは、今月下旬に円覚寺でも展示する計画であります。
こんなご縁でもなければ、私などはジブリの作品をじっくり拝見することもなかったでしょう。
これまた細川さんのおかげでいただいた有り難いご縁だと、感謝しています。
横田南嶺