探求深まる、イス坐禅
前回の六月は、谷中の霊梅院様を会場にして行いましたので、会議室でのイス坐禅の会は、二ヶ月ぶりとなります。
常連の方々も大勢いらっしゃいますし、はじめての方もいらっしゃいます。
遠く関西からお越しくださっている方もいらっしゃいます。
毎回毎回、このイス坐禅の工夫を続けるおかげで私自身の坐禅が深まったのを感謝しています。
坐禅は、もう半世紀以上にわたって続けていますので、今さら進歩もなにも無いだろうと思っていたのですが、新に発見があり、更に深まるのです。
今回も福岡伸一先生の本の言葉からと、それまでいろんな先生方に教わってきたワークとが、自分自身においてピタリと一致することがあって、とても感動したのでした。
坐禅がこんなに深まったことが自分でも驚いたほどです。
いつものように前回の感想などをご紹介しながら始めました。
前回のアンケートの中で「体操をして身体を整えたあとにイス坐禅をしたことで、首、肩がほぐれて力みがほどけ、余計な緊張感なく坐ることができました。」という言葉がありました。
まさに体をほぐしながら、体を調えていくのがイス坐禅であります。
今回は、福岡伸一先生の『動的平衡は利他に通じる』の本の中にある、
「生命体は本来、地方分権的なシステムであり、軸は後になってからできる。
魚が出現する以前の生命体、たとえばミミズやナメクジのようなやわらかな生物には背骨がなかった。
細胞の集合体が押し合いへし合いしながら、前後左右から押し込められた襞(ひだ)として中心軸ができ、それが固くなって背骨になった。」
という言葉を引用して、中心軸があってそれからまわりがあるのではなく、まわりがあってそこから中心軸が立ち上がるということを実践してみました。
そこで今回は「周辺から調える」と題して、
上腕の外旋
脇を締める
ももの内転筋をはたらかす
足の裏を感じる
ということを自分なりに工夫した動きで丁寧に行ってゆきました。
そうしていると、いつも参加してくださる方の姿勢がとてもきれいに調っていることに驚きました。
おそらく、この状態で本人はとてもここちよく安らいでおられるだろうと察しました。
終わったあとに、とてもきれいな姿勢になっていましたねと声をかけてあげました。
「毎回過去最高を更新するイス坐禅ですが、今回はこれまでとは次元が異なる最高を更新できた気がします。」と仰っていました。
更にその方は、先日のワークを振り返って
「まず、最初に上腕を外旋する動きで、手の指先から肩までの腕全体と肩甲骨がかなりの精度で本来の位置に戻りました。その状態で脇を締めると、身体の中心が単独ではなく、身体の末端から全体が繋がりあいながら立ち上がってきました。
身体の中心はあるけど、常に他の部分と支えあいながら存在しているので、明確に「ここ!」と焦点をあてることができないのに、全体がとても充実して力がみなぎってきました。」
と教えてくださいました。
まさに私が目指そうとしていたことをその通りに体感してくださっていることが分かりました。
自分で探求してきたことが伝わるというのは嬉しいものです。
ホトカミの吉田亮さんもいつものように終わったあと、その日のうちにnoteに投稿してくださっていました。
「身体の周辺からととのえたことで、なんと背骨があらわになったのです。
これは不思議です。背骨を立てようと背骨のことをやったのではなく、腕や脇、ももや足の裏をととのえた結果、背骨を意識せずとも背骨がすっと立ったのです。」と書いてくださっています。
今回は腰を立てる体操も丁寧に行いました。
いつも行う動きなのですが、この動きのも周辺を調える要素がつまっているのです。
両手首を九十度に曲げて、体を前傾して胸が太ももにくっつくようにします。
そして、正面に壁があると思って、両手でその壁をおしてゆきます。
このときに背中がもっとも伸びます。
足に体重がかかってお尻が持ち上がりそうになるくらいにすると、足に重心がかかって足元が充実します。
それから両手をクロスさせて、体を約45度の角度まであげます。
そこから更に両手が引っ張られるように、そして同時にお尻が後ろに引かれるように意識します。
手とお尻とで引っ張り合う感覚です。
斜め45度に引っ張られながら、小さく橫に8の字を書きながら、さらに十度乃至十五度体を起します。
お尻を手の方向と対角線上に引くようにします。
そして両手を真上にあげ、上体だけ起し、両手を大きく外側に円を描いて下ろして、ヒジを脇につけます。
ここで上腕を外旋してヒジを締めるようにします。
これで背骨があらわになります。
中心軸がはっきりしたら、あとは余計な力は一切放ちます。
自然と行われる呼吸に身を任せて坐るのです。
これで良い坐禅になります。
いろいろ探求してそのたびに深まることを実感しています。
この道は山に登るようなもので、登れば登るほど高くなるのだと修行時代に聞いた言葉を思い起こします。
横田南嶺