雨安居解制
安居とは、『広辞苑』に「僧が一定期間遊行に出ないで、一カ所で修行すること。普通、陰暦4月16日に始まり7月15日に終わる」と解説されている通りであります。
遊行とあるのは、遊びに行くことではありません。
遊行も『広辞苑』には「僧が修行・説法のため諸国をめぐり歩くこと。」と解説されている通りです。
今回の雨安居に入るにあたって、開講をするのに、初めて新しい禅堂で行いました。
新しい禅堂ができたのを記念して行ったのでした。
新に文殊菩薩も安座しましたので、その開眼も合わせて行いました。
今回も新しい禅堂で講了を行いました。
新しい禅堂を「慈雲堂」と名付けました。
一般に禅堂のことを「雲堂」と呼ばれることもあります。
「慈雲堂」と名付けたのは、ひとえに先代管長のお名前が慈雲でいらっしゃったからであります。
慈雲老大師のお徳のおかげで新しい禅堂ができましたので、そのお名前を長く後世に残すために名付けました。
設計のときには、これからの将来を考えると、修行僧の数も減るので、小さな禅堂でいいと思って考えました。
こぢんまりとした禅堂にしたのです。
ところが、今も大勢の修行僧が集まってくれているのは想定しなかったことです。
有り難いことであります。
講了では、『臨済録』の上堂のはじめの一節を取り上げました。
その部分の現代語訳を、小川隆先生の『臨済録のことば 禅の語録を読む』(講談社学術文庫)から引用させていただきます。
「府のかしら、王常侍が、配下の諸官とともに臨済禅師に説法を請うた。
師は法堂にのぼって説く、「わしは今日、致し方ない次第で、曲げて世俗の習いに従い、この座についた。もし禅門の本筋に立って第一義を表すならば、まさに口を開こうにも開けず、汝らがここに立ってそれを聴く余地とて無いところである。
だが、本日は、常侍どののたっての要請、根本の宗旨を秘匿するわけにもまいるまい。
さあ、ここでただちに戦陣を展開して、一戦を挑もうという辣腕の禅者はおるか!
おれば、その手腕を大衆の前で証明してみるがよい」。
そこで一人の僧が問う、「仏法の根本義とは、如何なるものにございましょう」。
師はただちに一喝した。
僧は黙って礼拝する。
師、「ふむ、この坊さん、意外と問答の相手がつとまるわい」。」
というところです。
仏法とは何かと問われて、すかさず臨済禅師は一喝しました。
僧は黙って礼拝して、それが褒められたという話です。
この問答なども何のことやらと思われるかもしれません。
仏法とはと問われて一喝したのは、決してその僧の態度が悪いとか、臨済禅師のご機嫌がよくないということではありません。
臨済禅師は、その全身で、仏法を余すところなく現しているのです。
これ以上のお説法はありません。
そのお姿で、そのお声で、そのたたずまいで、全身全霊まるごと、仏法を体現している一喝なのです。
それをその僧が見て取ったのでしょう。
有り難いお示しとばかりに礼拝したのです。
もう礼拝するしかなかったというところです。
大森曹玄老師は『臨済録講話』(春秋社)で、
「禅には本来、説くべき何ものもない。
いや、説かないのではなく、意識や分別の及ばないものなのである。
それなのに世俗的な情に従って、ゴテゴテと無駄口たたかねばならぬことになってしまった。
われわれ禅者の立場からいえば、禅のギリギリのところは、うんもすんもない。目前、天は高く地は低く、柳は緑、花は紅と、禅はその姿をあらわしている。
この現前の事実の前には、わしも知解分別のほどこしようはない。君らも足一歩踏みたてることはなるまい。」
と説かれています。
一喝についても大森老師は「思慮分別や理知感情などの一切を超越した当体を、じかに躍動させるのが喝である」と仰せになっています。
一見するとわけのわからぬ問答のように見えるかもしれません。
文字にしてしまうと、なおその躍動感が伝わりにくいのですが、その場にいたならば、臨済禅師の仏法が、その場にその姿を余すところなく現しているのが感じられるはずなのです。
四月から一夏の間、修行僧たちといろんな語録の言葉を学んできました。
この講了で一区切りになります。
これで一応いったん修行を終えてご自身のお寺に帰る者もおります。
また引き続き修行道場に残って修行を続ける者もいます。
修行自体には終わりはないのです。
横田南嶺