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臨済宗大本山 円覚寺

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2026.07.18
今日の言葉

不都合とは

第二日曜の午後、日曜説教のあとは、布薩の会を行っています。

布薩の会も、はじめてもう三十一回となります。

かなり暑くなってきていますが、まず体をほぐすことから始めます。

礼拝は、立ったり坐ったり二十七回繰り返しますので、足首から始めました。

踵をあげて降ろすことを繰り返しました。

そして股関節から折り曲げる運動を何度も行います。

礼拝のはじめには、合掌して頭を下げるのですが、頭を下げると意識すると背中が丸まってしまいがちです。

そこでまず膝を少し緩め、お尻を後ろにつきだして、股関節を引き込んで背骨をまっすぐというように誘導しています。

股関節を引き込むのを感じてもらうために、鼠径部に手の小指をあてて、その小指を挟み込むようにします。

そして背中を丸めないように、横から見ると水平になるようにします。

これできれいなお辞儀になります。

そして足首、足の指を入念にととのえました。

皆で般若心経を唱えて布薩は始まります。

懺悔文を唱えては礼拝してと三回繰り返します。

三帰依も、それぞれ礼拝しながら三回繰り返しました。

そうして三聚浄戒と十善戒を唱和します。

十善戒とは

第一不殺生、すべてのものを慈しみ、はぐくみ育て
第二不偸盗、人のものを奪わず、壊さず
第三不邪婬、すべての尊さを侵さず、男女の道を乱すことなく
第四不妄語、偽りを語らず、才知や徳を騙(たばか)ることなく
第五不綺語、誠無く言葉を飾り立てて、人に諂(へつら)い迷わさず
第六不悪口、人を見下し、驕(おご)りて悪口や陰口を言うことなく
第七不両舌、筋の通らぬことを言って親しき仲を乱さず
第八不慳貪、仏のみこころを忘れ、貪りの心にふけらず
第九不瞋恚、不都合なるをよく耐え忍び怒りを露わにせず
第十不邪見、すべては変化する理を知り心を正しく調えん

の十の戒です。

これらを礼拝しながら唱えていると、自然と体も心も調います。

長い時間坐禅したのと同じように調うのです。

終わったあとに、お茶をいただきながら、質問を受けています。

今回は、初めて御孫さんが生まれたという方からのご質問でした。

布薩の会にもよく参加されている方です。

この御孫さんにもこの布薩の心を伝えていきたいと思うと仰っていました。

ただひとつ聞きたいというのは、その孫が大きくなって不瞋恚の「不都合なるをよく耐え忍び怒りを露わにせず」の不都合なることとはどういうことか聞かれたら、どう答えたらいいだろうかというのです。

これはなかなか難しい問題です。

確かに不都合なことにも耐えないといけないのがお互いの人生です。

しかし、今日よく会社などで言われるように、不当な処遇などは、ただ耐えるのではなく改善するように努めるべきであります。

なにもかも耐えないといけないかというそうでもありません。

世の中の不正や悪には、それを改めようという気持ちが大事です。

どれが耐えるべきで、どれが改めるべきかを見分けることが難しいものです。

不慮の災害に遭うなど、自分ではどうしようもないことには、それを受け入れて耐えて工夫するしかありません。

そのようなことを申し上げました。

そのあといろいろ考えてみました。

そもそも不都合とは何でしょうか?

『広辞苑』には、

①都合がわるいこと。便利のわるいこと。

道理に合わないこと。ふとどき。不埒。

③手もと不如意であること。金銭に乏しいこと

という解説があります。

この都合がわるいことを不都合といっています。

その都合がわるいというのは、なんにとって都合がわるいかというと、それは自分の都合なのです。

不都合と理不尽とを混同してはいけないと思いました。

不都合というのは、自分にとって都合が悪いことであり、理不尽は道理や正義に反していることを言います。

雨が降って行事が中止になるのは不都合なことですが、それは自然現象であり理不尽とは言わないのです。

正しいことをしていて不当な目に遭うのは理不尽です。

人生には、自分の思い通りにならないことがたくさんあります。

自分にとって「不都合」なことがあるものです。

仏教的には、老いや病や死も、自分にとっては不都合です。

しかし、それらは自然の道理であって、必ずしも理不尽ではありません。

一方、人間の欲や無知から生じる差別や暴力、いわれのない迫害などは、理不尽です。

人生には不都合は避けられないのですが、しかし、理不尽は改めたり、それを減らしたり無くすための努力ができます。

電車が事故で止まり、遅れてしまう、渋滞で目的地への到着が遅れる、年をとって以前のように体が動かなくなるなどは、自分にとって不都合です。

これは受け入れて耐えるものです。

受け入れて工夫しないといけないものです。

怒りをあらわにしても仕方の無いものです。

他人の失敗なのに、自分だけ責任を負わされたり、同じ仕事をしているのに、理由もなく自分だけ低く評価されたり、そんなことは理不尽です。

社会的な不正や不公平は正していくように努力すべきです。

しかし、避けられない不都合まで「理不尽だ」と受け止めてしまうと、心は絶えず怒りや不満に支配されます。

そこで心を落ち着けて不都合なるを耐え忍び怒りをあらわにしないことが大事なのです。

不都合と理不尽と分けてみないといけないと思いました。

 
横田南嶺

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