日常の動きが稽古に
その稽古の前に、井上さんが、以前にnoteに書かれていた言葉を読んで興味を持ちました。
そこには井上さんが、
「はじめは武術的な動きばかり稽古していましたが、次第にそもそも歩くってどうだっけ、立ち上がる、座るはどうだったか?日常の動きに目を向けていきました。
日常の動作と言うのは死ぬまでに何万回と繰り返します。その何万回のうち何千回でもいいから、稽古と捉えて動きを気にしておくとかなり動きも変わってくると思います。
わざわざ稽古の時間を作らなくても、それが稽古になるのです。」
と書かれています。
それを読んだこともあって、先日は井上さんに、「歩く、立つ、坐る」という日常の動作が、どのようにして稽古になるのかをうかがってみたのでした。
そんなことを課題として稽古をさせてもらいました。
まず稽古では歩くことから始まりました。
井上さんが、剣山の上を歩くように、または薄い氷の上を歩くような気持ちになるように指示されました。
剣山の上を歩くようにという表現をなさることもあるようです。
私たちの修行では、『詩経』にある言葉をよく用います。
有名な句です。後世、「履薄氷(はくひょうをふむ)」という成語となり、日本でも広く用いられています。
それは「戦戦兢兢として、深淵に臨むが如く、薄氷を履むが如し。」という言葉です。
「戦戦」は「おそれつつしむさま」、「兢兢」も「おそれつつしむさま」です。
二つ重ねて、非常に慎重である様子を強調しています。
ここから「薄氷を履む」という言葉が用いられます。
『広辞苑』にも「極めて危険な場合にのぞむことのたとえ」と解説されています。
これは『論語』にもある言葉です。
もともとは、
「曽子が病気にかかったとき、門人たちをよんでいった、「わが足をみよ、わが手をみよ。詩経には『おそれつ戒しめつ、深き淵にのぞむごと、薄き氷をふむがごと』とあるが、これからさきはわたしももうその心配がないねえ、君たち。」」
という言葉がもとになっています。
曽子がたえず体に注意していたので、死にのぞんで手足の完全さを門人にみせて戒めとしたのです。
現代語訳は岩波文庫の『論語』にある金谷治先生の訳を引用しました。
そこから薄い氷の上を歩くように、慎重に歩くことを言います。
薄い氷の上ですから、ドタドタ歩けないのです。
自然とソッと歩くようになります。
足音もしなくなります。
剣山の上ならばなおさらのことです。
「剣山の上を踏むように」と意識すれば、まず足裏で床を感じますし、ドスンと踏ことはしません。
重心が静かに移り、骨盤も安定します。
そして腸腰筋が自然に働くのが分かります。
地面を蹴らないようになり、足裏で地面を感じられるのです。
分かりやすいようにと、一人の者が足首を持って、それを引き抜くように足を上げる稽古をしました。
これを行うと、腸腰筋で引き上げているのがよく分かります。
今回は腸腰筋をはたらかせているのだと感じました。
井上さんは接地感覚を均等にするようにと指導してくださいました。
剣山の上だと思うと一点だけに体重をかけると当然痛くなります。
そのために母趾球、小趾球、かかとを含めた足裏全体に圧を分散させるようになります。
それから余計な力が抜けるのを感じます。
剣山の上だと強く踏みしめるほど痛くなるので、自然に、股関節、膝、足首の力が抜けるのです。
すると腸腰筋が働きやすくなり、身体全体が柔らかく動けるようになります
このあたりを井上さんは足裏、膝裏、股関節、肚への繋がりを感じるようにと仰っていました。
それから、浮きの感覚です。
浮きというのは、足裏は床に接していますが、決して必要以上に踏みしめません。
関節が柔らかくて、全身がいつでも動ける状態です。
見た目には静かに立っていますが、一瞬でどの方向にも動けるのです。
腸腰筋は、大腰筋と腸骨筋の二つを合わせた総称です。
背骨と脚を直接つないでいる大きな筋肉です。
立っているときには、後ろから脊柱起立筋が、前から腸腰筋が引き合うことで腰椎が安定するのです。
坐るときには、腸腰筋がはたらくと骨盤が安定して背骨が一本の柱のように積み上がるのです。
歩くときにも腸腰筋は脚を前へ運び、骨盤を安定させ、背骨を支えるはたらきをしてくれています。
腸腰筋は背骨を支え、骨盤を安定させ、身体全体を一本にまとめてくれるのです。
腸腰筋を使うと、日常の立つ、坐る、歩く、その質をあげてくれるのです。
日常の動きを稽古にするというのは、毎日の暮らしがそのまま仏道であるという禅の教えに通じるのです。
横田南嶺