戒はよく生きるための土台
午前中の日曜説教では今日一日笑顔でいようという話をしたのでした。
松居桃楼先生が『微笑む禅』という『天台小止観』を解説した書物で
「一粒でも播くまい、ほほえめなくなる種は、どんなに小さくても、大事に育てよう、ほほえみの芽は、この二つさえ、絶え間なく実行してゆくならば、人間が生まれながらに持っている、いつでも、どこでも、なにものにも、ほほえむ心が輝きだす。」
と説いてくださっています。
ではどうしたらいつでも、どこでも、なにものにも微笑むことが出来るのか、そのことを丁寧に説いているのが『天台小止観』という書物です。
それにはまず土台となるのは、戒なのであります。
松居先生は「人間は、どうしたらニコニコになりきれるか?ひと口にいえば、「感情を波だたせないこと」と、「思考力を正しく働かせること」の二つきり。」だと説かれています。
これは「止観」という言葉を松居先生なりに分かりやすく表現されたものです。
感情を波立たせないということは、「止観」の「止」であります。
精神を集中させることをいいます。
思考力を正しくはたらかせることというのは、「止観」の「観」です。
この二つは連動しています。
感情が波立っていれば正しい思考力ははたらきませんし、感情が波立っていないと、どんなことが起きても動揺することがありません。
思考力が正しく働いておれば、困難な問題が起こっても冷静に解決できるはずです。
この感情を波立たせず、思考力を正しくはたらかせることが「止観」であり、それこそが坐禅であるとするならば、今の時代にもとても大事なことだと言えます。
ではお互いの感情を波立たせ、微笑めなくなる種にはどんなことがあるでしょうか。
いつも微笑んでいられるように、仏教では具体的に、「戒」を説いています。
今回の布薩の会では新しい方も大勢いらっしゃったので、まず「戒」の意味についてお話しました。
「戒」を『広辞苑』で調べると、
①いましめること。いましめ。さとし。
②漢文の一体。訓戒を目的として作ったもの。
③仏教語として、心身のあやまちを防ぐための自律的な制禁。出家者・在家者の守るべき規則。戒律。禁戒。」と解説されています。
漢字としての「戒」という言葉には、「いましめる、いましめとする」という意味があります。
「いましめ」というと「禁じられていることを教えさとして、慎ませる」ことを意味します。
または「過ちのないように注意する。用心させる」ことであり、「警戒する。用心する。行動を禁止する。とどめる」という意味があります。
「戒」は「戒律」と説かれることも多いものです。
戒律というと、戒も律も同じように思いますが、実際には異なるものです。
岩波書店の『仏教辞典』を調べてみますと、
「漢語としての〈戒〉はいましめの意,〈律〉はおきて,さだめの意」と解説されています。
梵語では戒は「シーラ」で律は「ヴィナヤ」です。
『仏教辞典』には「シーラとは修行規則を守ろうとする自律的な決心で,修行を推進する自発的な精神であり,ヴィナヤは教団(僧伽)の規則の意であると区別される」と解説されています。
『広説佛教語辞典』にはシーラとは「本来は習性とか反復習慣的に修習すべき行持という意で、その行いは身持に威容あらしむるゆえに威儀ともいう。修行に当たり、あるいは入団に当たり、自らに課する戒め、悪い行為をしないという誓いである。」と解説されています。
インドの原語では「シーラ」というのは、もともと習慣という意味です。
私は「良い習慣」と受けとめています。
感情を波立たせず微笑みを絶やさず生きるための良い習慣を身につけることが「戒」であるといえます。
大乗仏教では、大事な戒として十をあげていて、それが十善戒として説かれています。
ですから十善戒というのは、十の良い習慣を身につけることとなります。
十善戒の第一は「不殺生」です。
まずは人を殺さないことです。
これが一番のおおもとであります。
人類がお互いに人を殺さないということを守れば、戦争はなくなるのです。
それができないために今も戦争は絶えません。
更に厳密には、虫などをふくめいかなる生き物をも殺傷しないことを言います。
しかし、私たちは他の生き物の命をいただかなければ生きることはできません。
そこで、むやみに殺傷しないように心がけます。
また積極的な意味では、すべてのものを慈しみ、はぐくみ育てることです。
第二は「不偸盗」です。
人に対して慈しみと思いやりがあれば、他人のものを奪ったり、壊したりしないのです。
第三は「不邪婬」です。
すべての尊さを侵さず、男女の道を乱すことをしないのです。
この三つは身体の行為に関する良い習慣です。
第四は「不妄語」です。
偽りを語らず、才知や徳をたばかることがないようにします。
第五は「不綺語」です。
誠無く言葉を飾り立てて、人に諂(へつら)い迷わさないことです。
第六は「不悪口」です。
人を見下し、驕(おご)って悪口や陰口を言うことをしないことです。
第七は「不両舌」です。
二人を仲違いさせるような言葉が両舌です。
不両舌は筋の通らぬことを言って親しい仲を乱さないようにすることです。
この四つが言葉に関するよい習慣であります、
第八は「不慳貪」です。
仏のみこころを忘れ、貪りの心にふけらないことです。
第九は「不瞋恚」です。
不都合なるをよく耐え忍び怒りを露わにしません。
第十は「不邪見」です。
すべては変化する理を知り心を正しく調えることです。
布薩の会では礼拝行を繰り返しながら、この十善戒をお唱えして、心によい習慣として身につくようにします。
戒はよく生きるための土台なのです。
礼拝についてはいつも丁寧に指導させてもらっています。
今回も礼拝の基本である、お辞儀の姿勢ですが、股関節の引き込みを重点的に行いました。
これを丁寧に行うと体がとても調うのです。
坐る姿勢にも通じるものです。
皆さんに股関節の引き込みを指導させていただいて、改めてこの礼拝の大切さ、深さを学びました。
横田南嶺