出会いから始まる
ちょうどあじさいの咲く時期とも重なって大勢の方がお集まりくださいました。
途中で用意していた紙の資料が足らなくなって、あわてて印刷されている姿を目にしました。
有り難いことであります。
いつものようにお経をあげて始まります。
はじめに礼讃文を唱えます。
「人身受け難し 今已に受く 仏法聞き難し 今已に聞く 此の身今生に向って度せずんば 更に何づれの処に向ってか 此の身を度せん 大衆もろともに至心に三宝に帰依し奉るべし」
と和尚様が読み上げて、それから三宝に帰依します。
「自ら仏に帰依し奉る 当に願くは衆生と共に 大道を体解して 無上心を発さん
自ら法に帰依し奉る 当に願くは衆生と共に 深く経蔵に入って智慧海の如くならん
自ら僧に帰依し奉る 当に願くは衆生と共に 大衆を統理して 一切無礙ならん 」
と唱えながら礼拝をします。
それから開経偈を唱えます。
「無上甚深微妙の法は 百千万劫にも遭い遇うこと難し 我今見聞し 受持することを得たり 願くは如来の真実義を解し奉らんことを」
という言葉です。
日曜説教では、まずこの開経偈を取り上げて話をしました。
「開経偈」というのは、お経を読む前に唱える大切な言葉であります。
またこの言葉は単にお経をあげる前の唱え言というのではなく、深い意味を持っています。
「無上甚深微妙の法」というのは、この上なく尊く、奥深く、はかり知ることのできない仏さまの教えという意味です。
そしてそれが「百千万劫にも遭い遇うこと難し」ですから、百千万劫という気の遠くなるような長い年月を経たとしても、この教えに出会うことは容易ではないということを表しています。
そのような尊い教えに、私たちは今こうして出会うことができたのです。
「我今見聞し受持することを得たり」です。
すなわち見聞きし、受け入れることができたのであります。
そして最後の「願わくは如来真実義を解したてまつらんことを」は、仏さまの真実のお心、本当の教えを理解し、自らの身に体得できますようにという願いを表しております。
要するに、この偈文は、
「何十億年、何百億年という長い時を経ても出会い難い仏さまの教えに、私たちは今出会うことができた。どうかその真実の教えを深く理解し、自分のものとすることができますように」
という意味なのであります。
私たちはいつも、般若心経を読む前にこの言葉を唱えますが、考えてみますと、今日ここに集われた皆様も、それぞれにかけがえのない出会いに導かれてこの場におられるのだと思いますと申し上げたのでした。
日曜説教にはいろんな方がお集まりになっています。
それぞれの人生の中で、仏教や禅、円覚寺に出会って、お見えくださっているのです。
一人ひとりの人生を振り返れば、一言や二言では語り尽くせないほど多くの出会いが重なり合っているのであります。
よく「出会いは大切だ」と申しますが、まず何よりも感謝しなければならないのは、お互いがこうして出会うことができたという事実そのものです。
そもそも私たちの命は、父と母との出会いから始まりました。
まさに命は出会いから始まっているのです。
そして生まれてからも、一人で生きることはできません。
学校の先生との出会い、友人との出会い、仲間との出会い、多くの方々との関わりによって今日の私たちがあるのであります。
この「出会い」は、「めぐり合い」と言い換えてもよいでしょうし、仏教では「ご縁」とも申します。
坂村真民先生の「めぐりあい」という題の詩があります。
めぐりあい
1
人生は深い縁(えにし)の
不思議な出会いだ
2
世尊の説かれた
輪廻の不思議
その不思議が
今の私を
生かしてゆく
3
大いなる一人のひととのめぐりあいが
わたしをすっかり変えてしまった
暗いものが明るいものとなり
信ぜられなかったものが
信ぜられるようになり
何もかもがわたしに呼びかけ
わたしとつながりを持つ
親しい存在となった
と始まります。
それぞれの方が深い縁の不思議な出会いを通して、集まってくださっています。
そう思って大勢集まってくださっている皆さんを見渡していますと、一人一人が目に見えない、たくさんのめぐり会いの糸につながっているように見えて感動したのでした。
私自身を振り返ってみましても、決してお寺に生まれたわけではありませんし、鎌倉に特別な縁があったわけでもありません。
今からもう六十二年前、和歌山県新宮市で生まれました。
それがどうして今この円覚寺の方丈で皆さんの前で話をしているのかを考えると、実に数えきれば出会い、めぐりあい、ご縁の賜物なのであります。
そんな話から二歳の時の祖父の死、小学生の時に坐禅にであい、目黒絶海老師、松原泰道先生、山田無文老師などのすぐれた方々との出会いに恵まれました。
書物の上では、中学生の頃に『天台小止観』に出会いました。
朝比奈宗源老師の書物に出会いました。
死んでも死なない仏心の世界を書物の上で出会うことができました。
出会いから始まるお互いの人生です。
出会いから更に仏心の世界を知りたいと願い、そしてそれを体得しようと励んできたことをお話したのでした。
横田南嶺