講中齋
育英講中といいます。
「講」というのはいろんな意味があります。
『広辞苑』で調べると、
①仏典を講義する法会。最勝王講・法華八講など。
②仏・菩薩・祖師などの徳を讃嘆する法会。
③神仏を祭り、または参詣する同行者で組織する団体。二十三夜講・伊勢講・稲荷講・大師講の類。
④一種の金融組合または相互扶助組織。頼母子講・無尽講の類。
と書かれています。
修行道場の場合は修行僧達に供養し支援してくださる方々の集まりという意味での「講」であります。
もともと円覚寺などは、北条家の建てたお寺で、天皇から勅額もいただいているお寺であります。
鎌倉幕府、室町幕府、徳川幕府、それぞれの庇護を受けてきました。
それが明治維新になって経済的な基盤を失いました。
加えて廃仏毀釈という仏教の弾圧もありました。
そんな動乱の中、円覚寺では、今北洪川老師をお迎えして、宗風を挽回してきました。
新に正続院に修行道場を開いたのでした。
もともと江戸時代の終わり頃に、大用国師が正続院に修行道場を建ててくださっていました。
それが明治のはじめ頃に一時途絶えていました。
明治八年に洪川老師が円覚寺の管長にご就任なされたのでした。
洪川老師のお弟子が釈宗演老師、明治二十五年に管長ならびに僧堂の師家に就任されています。
おそらくその頃から、修行僧たちの生活を支えるために、信者さんたちにご供養をお願いしていたのです。
これを日供といいます。
毎日ご飯を炊くときに、ほんの少しのお米を修行僧たちのために取っておきます。
そうして一月たまったお米を、月に一度修行僧がその家にお参りにいって、いただいてくるのです。
そうしてお米を集めて、いただいていたのでした。
野菜は畑で作りますので、お米をいただければどうにか食事をすることができたのです。
これを日供合米と言っています。
それがこの頃は、お米の代わりにお金を供養していただきます。
そのいただいたお金でお米を購入し、いろいろの生活のために使わせていただいているのです。
決して多額ではありませんので、信者さんたちにも負担にならないようになっています。
かつては修行する僧侶に対してできる供養というのは四つでありました。
四供養と申します。
飲食・衣服・臥具・医薬の四つの供養でした。
お金というのはもともとなかったものです。
特に初期の仏教において禁じられていたのが貯えるということでした。
いただいた食事はその日のうちにいただくのです。
たくわえることは執着を生むことになりかねません。
お釈迦様がお亡くなりになって百年後にはいわゆる「十事」(非法)を主張した比丘(びく)たちによって仏教教団内に論争が起こりました。
これは、前日に布施された塩を蓄えておいて食事に供してよい、本来食事は正午までにすますのですが、その後にも一定時間内なら食事をしてよいなどの十項目にわたる従来の戒律に反する行為を唱えたので論争となったのです。
そのなかに金銀を受け取ってもかまわないという項目がありました。
このお金を受け取ってもよいかどうかが大きな論争となったのでした。
のちに保守的な上座部と大衆部に分かれるようにもなるのです。
今ではお金でお布施をいただくことが当たり前のようになっていますが、かつては大きな論争となったのでした。
たしかに今でも宗教法人に関する争いや問題の多くはお金が絡んでいるように感じます。
上座部の仏教では、今も比丘と呼ばれるお坊さんはお金を持たないで暮らしていると聞いています。
それが本来の姿なのでしょう。
ともあれ、そうして今日では月に一度信者さんのお宅におうかがいして、玄関先で四弘誓願文とお唱えしてお布施をいただいてくるのであります。
托鉢はまた別であります。
托鉢は、一軒一軒順番に家の前に立って四弘誓願文をお唱えして回るのです。
信者さんであるとか、そうでないとか区別は一切しません。
お布施くださるお家もあれば、断られることもあります。
お留守の場合もあります。
どのようであっても淡々と一軒一軒お経をあげて回るのです。
私も修行時代の托鉢の思い出はたくさんあります。
犬に吠えられるくらいならまだいいのですが、大きな声で怒鳴られて断られることもあります。
時には水をかけられたり、塩をまかれたこともありました。
この頃はまた警察に通報されたりすることもあるようになりました。
どのような目に遭おうと、こちらは耐え忍ぶ、忍辱の修行なのです。
その点、日供は信者さんのお宅を回りますので、安心して回ることができるのであります。
修行僧にとっては数少ない外に出かける機会でもあり楽しいものでもあります。
そんな信者さんたちのご供養に報いるには、一所懸命に修行に励むほかはないのです。
ただ年に一度講中の信者さんを円覚寺にお招きしてご先祖のご供養をしています。
大施餓鬼という法要を行って各家の先祖代々の供養を致します。
その前に私が法話をいたします。
法要が終わって、国宝舎利殿をお参りしていただくのです。
かつては春と秋の彼岸に行っていましたが、足立管長の頃、私が修行僧だった頃に、気候のよい五月十五日に行うようにしています。
今年の十五日もとても爽やかな日でありました。
その前の晩には、土砂降りの雨と雷で大荒れとなったのですが、当日は穏やかな気候となりました。
講中齋の前の晩には私が修行僧たちに訓示をすることになっています。
これを垂誡と申します。
わたしたちが何不自由なく修行できるのは、支えてくださっている信者さんたちのおかげであること忘れてはいけないこと、そして多くのご供養をいただいていて、その供養を受けるに足る修行をしているかどうかを反省する機会としてほしいと伝えたのでした。
横田南嶺