イスの上にも三年
冷たい石の上でも三年すわり続ければ暖まるという意味で、よく使われます。
江戸時代の俳句の書物『毛吹草』に、
「いしのうへにも三年ゐればあたたまる」という句があるようです。
そこで、イスの上にも三年と思ったのでした。
東京駅すぐ近くのビルの会議室を借りてイス坐禅の会を始めるようになって、丸三年が経ったのでした。
先日第三十六回目のイス坐禅の会を行いました。
はじめて定員に満たなかったのですが、定員を一名欠けるだけでした。
始めた頃は三十名で行っていました。
希望者が多いというので、途中から五十名にしました。
またこれからは少なくしていこうと思っています。
この会のおかげで私もずいぶんと工夫するようになりました。
ただ単にイスの上に坐ってジッとしているだけでは、なかなか坐禅にはなりません。
座布団を敷いて坐る坐禅なら、結跏趺坐や半跏趺坐という足の組み方をして、ジッとしていると、それだけで坐禅をした気持ちになるものです。
それにお寺ですと、自然豊かな環境の中に身を置くだけで、心が調います。
それがビルの会議室、しかも足を組まないのでしたら、どうしたら坐禅になるのかを取り組んできました。
そこでたどり着いたのが
一、首と肩の調整
二、足の裏、足で踏む感覚
三、呼吸筋を調整
四、腰を立てる
という四つであります。
毎回行うことは基本的にはこの四つであります。
現代の生活ではどうしても首が前に出てしまい、肩も巻き肩になりがちであります。
そのままの姿勢では呼吸が浅くなってしまいます。
肩や首をほぐしていい位置に調えてあげます。
それから足の裏です。
イスで坐るとどうしても不安定になるのは、土台にしっかりしていないからです。
地面に接しているのは足の裏しかありません。
足の裏で地面を踏んでいるという感覚をしっかりと養います。
それが腰を立てる土台となります。
それから呼吸筋を意識するように動かします。
よく坐禅で呼吸を見つめると申しますが、わかりにくいものであります。
どうしたら呼吸を感じてもらえるかを工夫してきました。
そして最後に腰を立てて坐禅に入ります。
ここまでで、毎回小一時間かかるのです。
今回も肩や首から始めました。
首や手首、そして足首のつまりや凝りが、安楽な姿勢を妨げます。
手首と首をよくほぐしてゆきます。
それから今回は肋骨を動かすこともしっかり行いました。
これで肩も緩むようになりますし、呼吸が深くなります。
今回は久しぶりにヒモトレのヒモを使ってみました。
ヒモトレは、バランストレーナーの小関勲先生に教わったものです。
ヒモの使い方はいろいろありますが、主に肋骨の上部に軽く巻いてもらって、肺の上部まで息が入ることを感じてもらい、更に肋骨の下部に軽く巻いて肺の下の方まで息が入ることを感じてもらいました。
そうしてヒモを外しても息を吸って膨らみ、吐いて凋む感覚がよく分かります。
しっかりと吐く息、吸う息を感じることができるようになります。
それから足の裏が大事なのです。
今回は足の裏に触れずに足の裏を調えるようにしました。
片足立ちをしてみたのでした。
私たちはふだん何気なく二本の足で立っていますが、この二本足で立つことは実は容易なことではありません。
人形を作って二本足で立たせようとすると困難です。
足をよほど重くするか、足の裏を固定しないと倒れてしまいます。
立っているだけで足の裏や足の指が、実に精明に神経をはたかせて調整してくれているのです。
二本足ではあまりにも当たり前に行っていますので、その困難さを感じないのです。
そこで一分ほど片足立ちをしてもらいました。
この一分がかなり長く感じられます。
その間足の裏は実に精妙にバランスをとり続けてくれています。
そうして両足を着けて立ってみると、今まで片足で立っていた方の足がしっかりと床を踏んでいることが感じられます。
そうして両方の足の裏の感覚をしっかりとさせました。
それから足首まわしも、手を使わずに、足だけで回すようにしました。
更に拇指球、小指球、踵でそれぞれ割り箸を踏みつけるようにしてみました、
そのように調えて立ってみると、より一層安定感が増します。
土台がしっかりします。
そうしておいて、腰を立てるようにしました。
ここでも割り箸が登場で、鼠径部に割り箸を挟み込むようにして腰を立ててゆきます。
腰を立てようとすると、腰に力みが入ってしまいますので、足を踏みしめて股関節を引き込むようにしていくと結果的に腰が立つようになります。
そうして前半の坐禅を行いました。
そのあと少し『臨済録』の一無位の真人について話をしました。
今回は三年特別記念で皆さんに紙の御朱印に「一無位真人」と書いて差し上げました。
しっかり体がほぐれて調った状態で禅語を味わうとまた格別であります。
そんな思いをホトカミの吉田亮さんが書いてくれていました。
「1時間のストレッチをして、身体をととのえてから坐禅をして、まずは自分が空っぽになる。
空っぽになった後なので、言葉が自然と入ってくる。
そして、御朱印として、手元にあることで、グッと言葉との距離が物理的にも縮まる。
そのあと、再び坐禅の時間があることで、その言葉が身体に浸透していく。それをひとりではなく、みんなで味わう。
とても新鮮でした。」
と書いてくれています。
吉田さんのnoteに「初めての禅語朱印×イス坐禅の感動」という題で書いてくださっています。
この表現には私もなるほどと思いました。
実に公案を工夫するということは、このように坐禅をして古人の残された言葉を自分自身に落とし込んでいく作業なのだと、私も長年やってきて、よく整理された思いであります。
今回は初めての方も多くて、多いといっても二割くらいで、八割はリピーターなのですが、初めての方向けに指導させてもらいました。
おかげで毎回のことですが、こちらの身心もすっかり調ったのでした。
この頃よく谷中の霊梅院の柳和尚様もイス坐禅に参加してくださっています。
次回六月は谷中の霊梅院様を会場にして開催する予定であります。
横田南嶺