師を慕う
疑えば花ひらかずという言葉もあるほどです。
その疑いというのは、仏法僧の三宝への疑いであるとか、自分自身に対する疑いであるとか、いろいろとございます。
その中に、師を疑うこともあります。
師を疑うということを考えるとすぐに思い浮かぶのは道元禅師のお言葉です。
正法眼蔵の礼拝得随の巻にあります。
「釈迦牟尼仏のいはく、「無上菩提を演説する師にあはんには、種姓を観ずることなかれ、容顔をみることなかれ、非をきらふことなかれ、行をかんがふることなかれ。たゞ般若を尊重するがゆゑに、日々に百千両の金を食せしむべし」
という言葉です。
曹洞宗の青山俊董老師が、春秋社より『『正法眼蔵』「礼拝得随」提唱』という本をだされていて、私も知人からいただいていましたので、その箇所を確認してみました。
青山老師は、
「最高の教えを説く人に出会うことができたら、ご出自とか、姿かたちとか、そんなことはどうでもよいのです。
欠点もあるかもしれない。
それもどうでもよいのです。「ただ般若を尊重するがゆえに」、ただ、一番大事なことを教えてくださる、それを尊ぶがゆえに、他のどうでもよいことは見なくてよろしい、というのですね。」
と説かれています。
『法句経』に、
「愚かな者は生涯賢者に仕えても、真理を知ることが無い。匙が汁の味を知ることができないように。
聡明な人は瞬時(またたき)のあいだ賢者に仕えても、ただちに真理を知る。___舌が汁の味をただちに知るように。」
という言葉があります。
ある長老は、よくブッダのお説法の座に坐って聴聞していました。
外から来た僧が、その長老にブッダの説法について質問しましたが、何も答えられませんでした。
愚かな者は、どんなに長い間賢者のそばに仕えていても真理を悟ることはないということです。
また逆の場合もあります。
ブッダのお説法を聴いて瞬時に悟ることもあるのです。
とりわけ、師に対する不信な思いでいくらそばに長くいて、たくさんのお説法を聴いたとしても身につくものではありません。
青山老師の本を拝読していて、私の名前が出ているので驚きました。
そのところを引用させてもらいます。
「……大本山總持寺の石附周行禪師より、及ばずながら本山西堂を仰せつかりまして、今年で四年目になります。
また、大本山永平寺へも出講させていただくようになって、二年が経ちました。
現在の永平寺と總持寺の監院老師は、お互いに同郷で親しくされていまして、両本山の御意向として、ぜひ永平寺にも行って差し上げてくださいと、推薦していただいたのです。
尼僧が本山の西堂職に就くということも、また一人の人間が両本山に出講することも、曹洞宗の八百年の歷史では初めてだということです。
これも、私にそれだけの力量があるとは思いませんが、道元禪師のようなお方を宗祖に仰いでいるから可能となったことでしょう。
先だっても、臨済宗円覚寺派の管長である横田南嶺老師との対談の折に、「とても我われ臨済宗では考えられないことです。」とおっしゃっておられました。」
というのであります。
ただこれだけのことで、たいしたことではないのですが、あの青山老師が私の名前を覚えてくださっているだけで光栄であります。
この本のはじめに、
「この巻の内容としては、天地いっぱいに生かされている私が、その天地いっぱいに生かされている命にふさわしい、今ここの生き方をしようじゃないか、ということです。それにはまず、正しい師匠、「正師」に会わなければなりません。」
と説かれています。
このわずか数行に仏法の大事なことの全てが説かれていると感じいりました。
そして更に青山老師は、
「「正師」とは、世間的に有名な人とか、金があるとか、男だとか、女だとかではなくて、道を得た人、法を得た人、「得道」、「得法」の人を師匠として得ることが、一番大事なのだということが、強調されているわけですね。」
と続けておられます。
正しい師に見えることがもっとも大事なのであります。
更に「ここで道元禪師は、徹底して、「男女を論ずることなかれ。」と、男性·女性という区別にこだわってはならない、と説かれています。
そして、ときに激しすぎるほどの言葉で男女平等を説き、女性を低く見ることの愚かさを批判されています。
「女人なにのとがかある、男子なにの德かある。悪人は、男子も悪人なるあり、善人は、女人も善人なるあり。聞法をねがひ、出離をもとむること、かならず男子·女人によらず。」
女性に何の罪があるというのか、男性に何の德があるというのか。
男性の悪人もあり、女性の善人もある。
そして、仏法を聞くことを願い、最高の生き方を求めていくのは、男性も、女性も同じである······。」
というのです。
私が青山老師にお目にかかった時に、この言葉を説いてくださっていました。
そのように男女区別にこだわらない道元禅師を宗祖としていただいていることの有り難さをしみじみと語っておられたことを思い出します。
青山老師のお話をうかがっていて、いつも感じますのは、青山老師にとっては、澤木興道老師を師として慕っておられるということです。
そして内山興正老師、それから余語翠厳老師を師として慕っておられると感じます。
そのすぐれた方々の教えが常に老師のお話に出て参ります。
及ばずながら、私も良き師にめぐり会うことができたことには感謝します。
初めて参禅した目黒絶海老師、私を仏門に導いてくださった松原泰道先生、出家得度の師である小池心叟老師、円覚寺でお世話になった足立大進老師、それぞれの師のおかげであります。
横田南嶺