新禅堂で提唱
本来ならば、喪中ということで、しばらく物忌みの期間を設けたのだと思います。
身内の死というのは、やはり身体に影響があると感じます。
私などは、ふるさとを遠く離れて四十年以上経ちますし、父といってもそれほどふだん会うわけでもありません。
ですから、亡くなってもそれほどの影響はないかと思っていましたが、やはり身体には影響があるものです。
誰にも会わずにじっとしている期間というのが、本当は大事だと思います。
ところが、すでに予定がたくさん詰まっているので、そういうわけにもゆかずで、変わることなく行事をこなしていかねばなりません。
改めて「平気で生きる」ことの難しさを実感します。
これもまた「平気で生きる」という修行をしているのだと思って勤めています。
至道無難禅師はなにごとも修行と思ってしなさいと教えてくださっています。
そして十五日は、円覚寺本山の結制で、それに合わせて修行道場も雨安居の入制であり、祝聖の行事に続いて結制の提唱をしました。
結制というのは、昔の安居の名残であります。
お釈迦様の時代から行われていたものです。
もともとは雨期には外出せずに一カ所に集まって修行に専念したのでした。
虫たちを踏んで殺してしまうかもしれないからだとも言われています。
雨期のない中国や日本でもその伝統が引き継がれて、だいたい四月十五日から七月十五日までを安居の期間と定めています。
その結制に合わせて修行道場の開講も行いました。
今回は、はじめて新しい禅堂を使いました。
実にこの新禅堂の建立は長年の悲願でありました。
もともとは朝比奈老師の頃から、円覚寺では禅堂、僧堂の移転ということが大きな課題でありました。
江戸の終わり頃に誠拙禅師が今舎利殿のあるところを修行道場と定めたのでした。
しかしながら、舎利殿が国宝に指定されて、国宝建造物のあるところで、修行僧が薪でご飯を炊いたり、風呂を沸かしたりするのは、本来は出来ないことなのです。
毎年消防署の点検でも黙認してもらってきていました。
平成十年に有識者の方が集まって、円覚寺総合計画というのが作られました。
その頃に私は足立大進老師の命で、師家の代参を務めるようになりました。
そして明くる年には師家に就任しました。
僧堂の移転ということは、私が師家として課せられた最大の任務でもありました。
しかし難事業でありました。
三歩進んで二歩下がるという歌の文句がありましたが、三歩進んで三歩どころか四歩も五歩も下がることもありました。
まず第一には、円覚寺の修行道場で修行された和尚様方にとっては、今の修行道場の建物や場所に愛着があります。
「僧堂移転などもってのほか」と議論にもならないというのがはじめの頃でありました。
それから何年も何年もかけて理解を求めるように努力してきました。
ようやくご理解をいただくようになるには十年から二十年かかったのでした。
それから更に建築の許可を得るのがまたまたたいへんでありました。
何度も何度も試行錯誤をしてようやく建築許可もおりました。
発掘調査もしました。
それから資金の調達も苦労しましたが、なんとか資金も用意しました。
建築の資材も確保できました。
そうして工事を始めたのが四年前のことでした。
コロナ禍ともなり、資材の不足や、職人の不足などで、大幅に工事が遅れました。
物価高で大幅な値上げにもなりました。
それら幾多の試練を経てようやく坐禅堂だけができあがったのでした。
これら一連の事業には居士林の建築も含まれています。
居士林はすでにできあがり、内田一道老師のご指導のもとに、活用されています。
それに続いての新禅堂の完成であります。
まだまだ僧堂の日常生活を送る庫裏、常住棟が建設中ですので、全面的な移転にはしばらく時間がかかります。
ともあれ、新しい禅堂ができあがったのは感慨ひとしおなのであります。
禅堂には名前がつきます。
もともとあった禅堂は、「正法眼堂」と言いました。
今度の新禅堂は、「慈雲堂」と名付けました。
これは足立大進老師の道号「慈雲」から命名しました。
足立老師から、管長を引き継ぐときに最もつよく言われたのが、僧堂の移転問題を片付けるようにとのことだったのでした。
老師のお心を受け継いで建てたので「慈雲堂」にしたのでした。
普通の禅堂では、床は敷き瓦で、その上に単を置いて坐ります。
しかし新しい禅堂では、それを無くしました。
段差のないようにしたのです。
これは坐禅だけでなくいろんなことにも使えるようにするためです。
それから先代の足立老師は、今までの禅堂の作りだと、背の高い人が夜寝るときに、窮屈になることを気にされていました。
単だと畳一畳の長さしかありません。
今回は段差がありませんので、背の高い人でも問題なく休めます。
それからお経をあげたり。講座を行うのにも使えます。
そこで今年の雨安居結制は、新禅堂で行ったのでした。
まだまだ常住棟、台所などもこれから作りますので、付帯工事も含めると来年中にはできあがると思われます。
再来年にすべての落慶行事を行おうと計画しています。
再来年というと、円覚寺総合計画が作られ私が師家代参を拝命して三十年となります。
実に三十年にわたる大事業なのであります。
横田南嶺